擱筆するにあたり、もういちど中村さんの言葉を引きたい。

「いま伯父・火野葦平が生きていれば、器用に変転する近ごろの猛々しい世情に対して思うところがあったでしょう」

 2003年、私が中村さんと最初に出会ったときの言葉である。数年が経ったいま、どうだろう。その間に様々な法案が可決され、時代はきな臭くなった。そして新型コロナ禍により、同調圧力は強まり、お上に対しての忖度が強まっている気がする。

 その反動のように、ネット上では匿名の誹謗中傷が広がり、社会は大きく分断されているようにも映る。こんなときだからこそ、不条理な時代の中で言葉を頼りに時代を切り開こうとした一人の作家の人生を見つめ直すことは大事なことだと思っている。

 本著の冒頭部を読み、全身を揺さぶられるような衝撃を受けた。現在の私と同じ53歳で火野は、自らの手で人生を閉じていたのだ。

 最近こそ体力の衰えを感じるものの、私は死など縁遠いものとみなしている。これからまだまだやることがあるとも思っている。そんな年齢で火野はすでに背負いきれないほどの苦しみを抱いていたと思うと胸が重くなる。

 今年は火野の没後60年という節目で、戦後75年でもある。一寸先も見通せない状況の中ではあるが、命をかけて戦争と戦後という「ふたつの戦場」に向き合った火野葦平の葛藤に一人でも多くの読者が心を寄せていただけたらと願ってやまない。

 中村哲さんだけでなく、本著のために話をうかがったドナルド・キーンさん、佐木隆三さんも不帰の客となった。佐木さんの死は、最後にお目にかかってからわずか1カ月後のことだった。火野のことを語りながら浮かべていた涙を忘れることができない。

 今日も遠くから地元行政の自粛要請のアナウンスが響いている。この経験が奇貨となり、新型コロナ後の世界が、みんなが協調し痛みを分かち合う世の中に変じることを願ってやまない。火野や中村さんのようにはいかないかもしれないが、そのために私ができることは何なのか、迷い続けながらも模索している。(渡辺考)