戦場の火野を励ますために集まった郷土の人々。参会者が「麦と兵隊」「葦平の会」と書いて持っている (c)朝日新聞社
戦場の火野を励ますために集まった郷土の人々。参会者が「麦と兵隊」「葦平の会」と書いて持っている (c)朝日新聞社
日中戦争に従軍中の火野葦平 (c)朝日新聞社
日中戦争に従軍中の火野葦平 (c)朝日新聞社

「戦争」にもたとえられる新型コロナウイルスとの闘いの中、いま改めてその生き方に注目したい作家がいる。1938年、日中戦争従軍中に戦場で芥川賞を受賞し、戦場で見えた兵隊の姿を描いた「兵隊三部作」で国民的作家となった火野葦平だ。

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 従軍作家として中国・フィリピン・ビルマに赴き、インパール作戦にも従軍し、無謀な作戦のもと、次々に死んでいく兵士の姿を目撃した。敗戦後、そんな火野を待っていたのは戦犯としての激しい非難の嵐だった。「国民的作家」から、「戦犯」へ、火野に対する国民の評価は一変する。

 そんななか筆を折ることもできたのに、火野は新作を書きながら自らが戦時中に書いた作品の改稿も進めた。そして敗戦から15年後の1960年、自死するに至る。国家と戦争に翻弄された火野が到達した境地とはなにか?

 2013年に放送されたETV特集「戦場で書く――作家・火野葦平の戦争」(NHK)は多くの反響を呼び、この年の橋田賞を受賞した。この番組から生まれたのが、6月5日に発売される本書『戦場で書く 火野葦平のふたつの戦場』である。

 表現者と国家・社会の関係を考える上で、火野葦平の貫いた生き方がコロナ禍を生きる我々に問いかけるものを考えてみたい。そこで、本書のあとがきの一部を特別に公開する。

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■火野葦平と中村哲のつながり

 2019年12月、私は滞在先のイタリア・ローマで衝撃的なニュースを受け取った。「医師・中村哲さん銃撃を受けアフガニスタンで死亡」私の脳裡に、その半年前に中村さんと一緒に歩いた街並みと会話が蘇ってきた。

 2019年5月末、アフガニスタンから一時帰国した中村さんに、彼の信念をつくりあげた場所を聞いたところ、「いろいろあるけど、やはり若松だと思いますね」と答えた。「一緒に行っていただけませんか」と願い出たところ、中村さんは時間を作り北九州・若松を訪ねてくれたのだ。若松は、作家・火野葦平の故郷でもあった。中村さんは、火野の妹の息子、つまり甥っ子にあたる。

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中村さんがさっそく向かったのは…