駅北側の商店街に隣接したお花茶屋公園にて。周囲を木々に囲まれた公園は、芝生や遊歩道も整備され、のんびり散歩するのにちょうど良い。前日に降った雨が空気を洗い、水たまりが陽の光を反射していた。自転車で集まった子供たちが楽しそうに話していて、その向こうでは数人の子供たちがキックボードを乗り回していた。ベンチではひとり読書する青年や、友人と囲碁を打つ人、あるいはすでに酒盛りを始めている初老のグループも。「ロケですか?」と、散歩中の女性に話しかけられた。笑顔で応じる2人。鳩が人を怖がらないほど、ゆるやかな空気が流れていた (撮影:南阿沙美)
駅北側の商店街に隣接したお花茶屋公園にて。周囲を木々に囲まれた公園は、芝生や遊歩道も整備され、のんびり散歩するのにちょうど良い。前日に降った雨が空気を洗い、水たまりが陽の光を反射していた。自転車で集まった子供たちが楽しそうに話していて、その向こうでは数人の子供たちがキックボードを乗り回していた。ベンチではひとり読書する青年や、友人と囲碁を打つ人、あるいはすでに酒盛りを始めている初老のグループも。「ロケですか?」と、散歩中の女性に話しかけられた。笑顔で応じる2人。鳩が人を怖がらないほど、ゆるやかな空気が流れていた (撮影:南阿沙美)

かつて尾崎が住んでいたアパートを見上げる2人。このアパートでつくった楽曲のいくつかは、今でもライブの定番として歌われている。ちなみに、椎木が着ているブルーのシャツが尾崎からプレゼントされたもの。椎木はお返しに、尾崎の誕生日に江戸切子のグラスをプレゼントしたのだとか (撮影:南阿沙美)
かつて尾崎が住んでいたアパートを見上げる2人。このアパートでつくった楽曲のいくつかは、今でもライブの定番として歌われている。ちなみに、椎木が着ているブルーのシャツが尾崎からプレゼントされたもの。椎木はお返しに、尾崎の誕生日に江戸切子のグラスをプレゼントしたのだとか (撮影:南阿沙美)

 クリープハイプの尾崎世界観(おざき・せかいかん)とMy Hair is Bad(マイ・ヘアー・イズ・バッド)のフロントマン、椎木知仁(しいき・ともみ)、初の対談は、東京都葛飾区のお花茶屋で行われた。ここは、尾崎が幼少時代を過ごし、21歳まで暮らしていた場所。尾崎の新著『身のある話と、歯に詰まるワタシ』に収録された二人の対談の一部を特別に公開する。

【かつて尾崎世界観が住んでいたアパートを見上げる椎木知仁と尾崎】

※「尾崎世界観×椎木知仁 初対談!『言葉を使って人の心を掴むのは、ある意味、詐欺。』」よりつづく

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■「できない」という才能

 お花茶屋駅前で待ち合わせた二人は、尾崎の案内で商店街を散策。そして、商店街に隣接した「お花茶屋公園」へ向かった。「これがお花茶屋かあ」椎木が感慨深そうに言う。「クリープハイプの初期作品の中に『お花茶屋』という曲があって。好きな曲なんですよね。曲名にもなっている場所に10年越しに来られて、すごく嬉しいです」

 公園を出て、尾崎がかつて一人暮らしをしていたアパートへ。風呂なしのワンルームで暮らし、アルバイトで生計を立て、ひとり楽曲制作に打ち込んだ日々の痕跡を確かめる尾崎。あの頃、認められないこと以上に、バンド活動を思い通りに進められないこと、うまく演奏できないこと、自分が憧れたバンドのように歌えないことに苛立っていた。メロディーだけで勝負できない自分に苛立っていた。そういった日々の悔しさを日記で発散し、その延長で歌詞を書いた。「音楽で届かないところに強引に言葉を差し込んで、拡張して、そこに放り込む」。そんなイメージで尾崎は言葉を書きつけた。

 メロコアに影響を受けて音楽を始めた椎木も、当時活躍していた先輩たちのようには歌えない自分を感じていた。

「高校生の時は英語で歌おうとしていました。でも自分に合っていないと感じてやめたんです。試してみても英語で歌えなかった」

「才能って、何を取るかだよね」と尾崎が続ける。

「『できない才能』というものがあってもいいと思う。『できないから、こうしよう』と別の道を見るけることもあるわけだし」

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「言葉」の他に2人に共通しているのは…