備後落合駅に降りたのは私を含め7人。ホームの向い側に三次行きの単行気動車が客待ちとしていて、4人が足早に乗り換えていった。ほどなく木次線の単行気動車が到着し、大半の乗客が三次行きに乗り込んでゆく。ただひとり、おばあさんが駅舎を抜けていった。

 小さなジャンクションに3本の列車。いずれも小型の単行気動車(キハ120形)だが、2面3線のホームが列車で埋まっていたのである。駅前には商店どころか民家もなく、人の気配も感じられなかったが、どこからやってきたのか、若い女性がひとり私と同じ木次線列車に乗り込み、下久野で降りていった。

 という備後落合駅だが、かつては陰陽連絡線のジャンクションとして、列車の併解結や機関車の付け替えなどで重要な役割を担っていたのである。1965年4月当時の「時刻表」によれば、夜行準急を含め岩国や広島、米子、鳥取、岡山など多方面を結ぶ列車の接続点になっていたことがわかる(※表1)。まさに「駅に歴史あり!」といったところではないだろうか。

 なお、2020年3月9日に芸備線の東城(とうじょう)~備後落合間で土砂流入事故が起き、同区間の不通が続いていたが、4月28日に運転が再開されている。(文・植村誠)

植村 誠(うえむら・まこと)/国内外を問わず、鉄道をはじめのりものを楽しむ旅をテーマに取材・執筆中。近年は東南アジアを重点的に散策している。主な著書に『ワンテーマ指さし会話韓国×鉄道』(情報センター出版局)、『ボートで東京湾を遊びつくす!』(情報センター出版局・共著)、『絶対この季節に乗りたい鉄道の旅』(東京書籍・共著)など。