有料座席サービス「Aシート」用に改造された223系1000番代。先頭車だが、編成中間の9号車に組み込まれる。この車両のみ側面の帯が異なる。(C)朝日新聞社
有料座席サービス「Aシート」用に改造された223系1000番代。先頭車だが、編成中間の9号車に組み込まれる。この車両のみ側面の帯が異なる。(C)朝日新聞社
当初は113系で運転を開始した「新快速」だが、1972年から塗色変更された急行形電車の153系が投入され、一気にグレードアップした。(C)朝日新聞社
当初は113系で運転を開始した「新快速」だが、1972年から塗色変更された急行形電車の153系が投入され、一気にグレードアップした。(C)朝日新聞社
速くて快適という「新快速」のイメージを定着させた117系。クリーム色地にマルーン色の帯を巻く塗色は、現在の「新快速」の帯に引き継がれている。(C)朝日新聞社
速くて快適という「新快速」のイメージを定着させた117系。クリーム色地にマルーン色の帯を巻く塗色は、現在の「新快速」の帯に引き継がれている。(C)朝日新聞社
「Aシート」の車内。特急のような回転リクライニングシートに変更され、座席の背面には格納テーブルがある(写真/岸田法眼)
「Aシート」の車内。特急のような回転リクライニングシートに変更され、座席の背面には格納テーブルがある(写真/岸田法眼)

 京阪神地区を横断する「新快速」が登場してから、今年の10月で半世紀となる。今や東は福井県の敦賀、西は兵庫県の上郡、播州赤穂まで延伸され、通勤・通学からビジネス、観光まで、あらゆるシーンにおいて多くの人々に愛用されている。これからも発展が続くであろう「新快速」の半世紀を振り返る。

【写真】1972年三宮駅に入る「新快速」はこちら

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■当初は「特別快速」となるはずだったが……

 1970年9月13日、大阪の千里丘陵で開催された万国博覧会が大盛況で幕を閉じた。それから半月後の10月1日、国鉄はダイヤ改正を実施し、京都~西明石間に「特別快速」を日中時間帯のみ6往復新設することとした。当時、東京の中央本線に「特別快速」(現在の「中央特快」「青梅特快」「通勤特快」)が運転されており、関西にも波及させようとしたのだ。

 ところが市販の時刻表では「特別快速」と明記されたのに対し、管轄する大阪鉄道管理局は「新快速」とした。その理由は現在も謎に包まれたままだ。当時、「快速」にはグリーン車連結列車が存在した(1980年廃止)のに対し、「新快速」にグリーン車はなく、“「特別快速」にふさわしくない”と判断したのだろうか……。

 停車駅は大阪、三ノ宮、明石に絞り、並行する私鉄の特急より速いことをアピールした。ただし、草津~西明石間の複々線は現在と異なり快速や各駅停車用の“電車線”を走行した。当時、優等列車や貨物列車などが走行する“列車線”は運転本数が多く、「新快速」が入り込む余地もなかったのである。

■急行用の電車を転用し、15分間隔に大増発

 「新快速」は好評を博し、1971年4月26日から東側に延伸、草津発着列車が登場した。その後も運転区間の拡大や増発に乗り出す。

 追い風となったのは、1972年3月15日の山陽新幹線・新大阪~岡山間の開業だ。山陽本線の在来線優等列車が見直され、余剰になった急行用の153系電車を格下の「新快速」に転用。運転時間帯を若干拡大し、西側は姫路を発着する列車を新設のうえ、15分間隔に大増発されたのだ。さらに大阪と京都の発車時刻を00・15・30・45分にそろえ、分かりやすくした。加えて、複々線区間では同じ時刻に大阪を発車した特急や急行列車を抜き去る痛快さも話題となった。

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成長が続く中、課題が浮上