ヨシタケシンスケさん(撮影/矢部朱希子)
ヨシタケシンスケさん(撮影/矢部朱希子)

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、仕事も学校も自粛を余儀なくされ、思い通りにいかない状況にストレスを抱えている人も多いはず。全国不登校新聞の編集長、石井志昂さんはそんなときこそ、「生きづらい人生を送るなかで大事なものを見つけている人の言葉を伝えたい」と言う。今回は人気絵本作家、ヨシタケシンスケさんへのインタビューを紹介。

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「大人や世間は『逃げるな』『立ち向かえ』といつも言います。でも、できないことから逃げてきたおかげでやれることもたくさんあるんです」

 と、ヨシタケさんは語る。

*  *  *

――ヨシタケさんは、どんな子どもでしたか?

 小学校の高学年ぐらいのときは「怒られたくない」という気持ちと「ホメられたい」という気持ちが、よくごっちゃになっていました。絵を描いたり、工作をつくったりしたときに母親からホメられて、すごくうれしかったんです。だから、ホメられたいっていう気持ちがあるのに、気が弱いから、大人から怒られるのは怖くてしょうがない。

 遊んでいたり、絵を描いてたりしていると、これはホメられたいなあという思いつつも、「でも、なんかあったときに怒られたくないなぁ」「なんかあったらどうやって言い訳しようか」「言い逃れするためにできる準備ってなんだろう」とか、そんなことばっかり考えている子でした(笑)。

 それと「自分の意見」や「夢」なんかも持ってなかった子どもでした。

 うちの兄弟は4人。妹が2人と姉が1人。この姉が何でもできる人で、自分の意見もバーッと押し通す人でした。僕が話をすると、なぜだか家族の場が荒れる。そういうことが多くて、「自分のことをわからせようとすると苦労が多いな」と肌で感じていました。

 自分のことをわからせようとするのはやめよう、と思っていたら、自分の意見を持てなくなったんでしょうね。それで困ったのは中学生になってからです。やっぱり同い年でも夢や自分の意見を持っている人って、かっこよく見えるわけです。かっこよく見えるだけじゃなくて、夢がない自分がなんだか恥ずかしかったし、どうすりゃいいかもわからなかった。そんなことならば、よく覚えています。

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石井志昂

石井志昂

石井志昂(いしい・しこう)/1982年、東京都町田市出身。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』のスタッフとなり、2006年から編集長。これまで、不登校の子どもや若者、識者など400人以上に取材してきた

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