もっとも、槇原被告とドラッグを結びつけた人物は前出の所属事務所元社長A氏である。1999年、共に覚せい剤所持で逮捕された際、槇原被告は「彼とは関係を断ち切ります」と法廷で宣言。だが、執行猶予判決が下った後の2000年頃から再び同居を始めていた。

「マッキーは20年にわたり、ドラッグとA氏という、切っても切れない二つのものの間で絶えず揺れ動いていました」

 そう証言するのは、ふたりの関係を知る音楽番組関係者である。

「A氏に対し、マッキーはいつも“ウケ”の姿勢。マッキーの態度にA氏がブチ切れて、夜中に自宅を飛び出していったこともあった。時には殴り合いをするなど、マッキーは恋人関係に思い悩んでいました。修復不可能な時期もありましたが、気がつくと、ふたりは『これ、いいわよね』とRUSHの小瓶を周囲に見せびらかしたりしていた。結局、彼らは共依存のように居心地の良い関係に戻ってしまうのです」

 だが、槇原被告はドラッグがつないだ強固な関係にひとり思い悩んでいたようだ。

 ある医療関係者が明かす。

「槇原さんは月1回、薬物中毒専門の先生の問診を受けていました。自分でも薬物依存を自覚し、それを断ち切るための努力をしていたのです」

 ふたりが破局したのは、A氏が逮捕される直前である18年初旬だったという。

「その数年前からA氏は会社を私物化していました。マッキーが稼いできたお金で高級外車を購入したり、気に入らないスタッフはちゅうちょなくクビにするなど、マッキーの『虎の威を借る狐』状態でした。そんな姿をみかねたマッキーは、当時から周囲に『彼とは別れたい』と話していた。その後、マッキーに新しい彼氏ができたことで完全に吹っ切れたようです」(前出・音楽番組関係者)

 初公判では、A氏とドラッグの20年に及ぶ黒い歴史が明らかにされるのか。槇原被告には自分の言葉で事実を明らかにしてほしい。(後藤武彦)