■阪急、オリックス:中沢伸二


(通算成績:1359試合 648安打 打率.225 61本塁打 296打点)

球団一筋21年間プレーし、キャリアの序盤はなかなか出場機会を得られなかったが、プロ入り10年目にしてレギュラー捕手の座を掴み取った。打撃成績も特出したものがなく、肩も強い部類には入らないが、野村克也も高く評価したリードを武器に75年から3年連続で日本一に輝いたチームを陰から支えた。バッティングも晩年の82年に120試合に出場して打率.302、11本塁打、47打点とキャリアハイをマークして自身2度目のベストナインに選ばれている。また、“ささやき戦術”の使い手で、日本シリーズで対戦した王貞治は中沢からの“ささやき”で調子を崩されたというエピソードもある。目立った数字はないが、捕手に必要な狡猾さを兼ね備えた選手だった。

60年代中盤から70年前半に主に正捕手を務めた岡村浩二も、球団の歴史を彩る名キャッチャーの一人。3度2ケタ本塁打を記録した強打と、盗塁阻止率5割以上を2度マークした強肩が光った。今はコリジョンルールでなくなった「ブロック」の名手として知られ、体を張ったプレーも売りだった。90年代後半から12シーズン正捕手を務めた日高剛、その後を継ぎ5年レギュラーだった伊藤光(現DeNA)ら、正捕手の固定に成功しているイメージのある球団だが、近年はチームも低迷しており「勝てるチーム」の捕手だった中沢を選出したい。

■近鉄:梨田昌孝
(通算成績:1323試合 874安打 打率.254 113本塁打 439打点)

2004年シーズンを最後に消滅し、最後まで日本一を達成することはできない球団であったが、チーム2度のリーグ優勝に貢献した。有田修三との併用で起用されたことで、シーズンの最多試合出場数は80年の118(当時はシーズン130試合)だったが、チームの捕手として最多の出場を果たしたのは、9シーズンを数える。「コンニャク打法」と呼ばれた打撃がトレードマークで、79年にキャリア最多の19本塁打を放つと、その年から4年連続で2ケタ本塁打をマークしている。また、肩の強さも素晴らしく、79年から83年までリーグの盗塁阻止率でトップを記録。NPB歴代トップの通算盗塁数を誇る阪急・福本豊の存在がありながら、79年には.536という数字を残した。ベストナインに3度、ダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)に4度選出された当時のパ・リーグを代表する捕手だった。

梨田の後には古久保健二、的山哲也らが正捕手を務めたが、球団の歴史を見ると守備型のキャッチャーが多いイメージ。90年にはその年にレギュラー捕手を担った光山英和が規定打席に達しなかったが、87試合の出場で打率.301、12本塁打と打撃でも成績を残し、肩も強い捕手ではあった。だが、攻守にわたって高い能力を示した梨田が球団の歴代最強の捕手に最も相応しいだろう。