マルテはオープン戦期間中に右ふくらはぎを痛め、開幕2軍スタートとなったが、4月末に日本デビューを飾ると、8月から4番を務め、105試合で打率2割8分4厘、12本塁打、49打点とまずまずの成績を残した。

 一方、タイプ的には糸井に近いナバーロは、長打力不足からわずか15試合の出場に終わり、オフに退団したが、第2回プレミア12のメキシコ代表の中心打者としてアメリカとの3位決定戦でサヨナラタイムリーを打つなど、3位入賞と東京五輪出場に貢献。“糸井効果”に加え、2軍でまじめに練習を続けた努力が報われた。

 最後は番外編。88、89年に巨人でプレーしたメジャー通算101勝(来日前の勝利数)右腕・ガリクソンは、桑田真澄との友情に感謝し、また野球に取り組む姿勢に感銘を受け、息子に「クワタ」のミドルネームを命名したエピソードで知られる。

 当時20歳の桑田は、映画の「ロッキー」シリーズなどを鑑賞しながら、英語を勉強していたが、ガリクソンが入団すると、積極的に英語で話しかけ、生きた英語を学んだ。一方、慣れない異国生活に加え、糖尿病治療のため、インシュリン注射を打ちながらマウンドに上がるという苦闘の日々を送っていたガリクソンも、桑田とコミュニケーションを取ることで、心が安らいだ。ベンチで2人が親しげに話す姿は、すっかりおなじみになった。07年、桑田が38歳でメジャーに挑戦したのも、ガリクソンからメジャーの話を聞かされた影響が大きかったといわれる。

 巨人在籍時期がガリクソンと重なるクロマティも、王貞治監督を尊敬し、日本で生まれた三男にコーディー・オー・クロマティと名づけている。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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