一方、いきなりすぎてファンを面食らわせたのが、近藤真彦のケースである。1993年「三匹が斬る!」(テレビ朝日系)の第6シリーズに登場。この時代劇は高橋英樹、役所広司、春風亭小朝による共演で人気を博していたが、役所が映画「Shall we ダンス?」に主演することになったため、その代わりに加入したのだ。

 続く第7シリーズで役所は復帰したが、今度は高橋が抜け、その代わりをマッチが務めた。が、この時代劇のファンにはどちらのシリーズもミスマッチだという声が多かった。実は、当の本人もそうなることを危惧していたという。

 当時、マッチに出演依頼をしたプロデューサー・田中憲吾の回想だ。

<ところが当時20代であったマッチからの答えは、時代劇も初めてカツラも初めて着物を着て立ち回るのも初めて、で自信がないと出演NGでした。しかし、ジャニーズの当時の幹部の方が元々『三匹が斬る!』を見てくださっていて、一緒にマッチを説得してくださったおかげで出演にこぎつけることができました>(本人のブログより)

 なんのことはない、誰よりも本人がミスマッチだとわかっていたのである。

 それにしても、マッチというのは不思議なタレントで、あれほどの功労者でありながら「嫌いなジャニーズ」アンケートでは上位の常連だったりする。87年にジャニーズ初の日本レコード大賞を受賞したときにも出来レースと言われたり、前年に亡くなった母の遺骨が盗まれて受賞辞退を脅迫されていたことが判明したりした。89年に恋人の中森明菜が自殺未遂をしたときには、悪者扱いされ、そのイメージは今も根強い。

 98年にはケガをした江口洋介の代役で主演した「ドンウォリー!」(フジテレビ系)が大コケしてしまうし、04年には海で溺れかけた子供を助け、名乗らずに立ち去るという美談を残したのに、これはすっかり忘れられた印象だ。東日本大震災の支援ではジャニーズが集めた募金をパンダ招聘に使うという案が出て、それを代表して発表。そのために、批判を浴びる標的になり「パンダ」という新たなあだ名までつけられたという。

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「禅譲」されるには十数年が必要