ショートの選手としては史上初となる2000試合出場の期待もかかる巨人・坂本 (c)朝日新聞社
ショートの選手としては史上初となる2000試合出場の期待もかかる巨人・坂本 (c)朝日新聞社

 野球の花形ポジションと言えばピッチャーだが、それに次ぐのはショートではないだろうか。アメリカでは昔からその考え方が強く、最も能力の高い選手がショートを任せられると言われている。

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 日本では昔は守備のうまい小柄な選手が守ることが多かったが、徐々に選手も大型化してきており、打てるショートも珍しくなくなっている。しかし広い守備範囲や長い距離のスローイングが求められるためそれだけ体にかかる負担も大きく、晩年までショートとしてプレーし続けられる選手は少ない。そんな中でも長くショートを守り続けられる選手はどんな顔ぶれになっているのか、どんな特徴があるのか、探ってみたいと思う。

 まず昨シーズン終了時点で、ショートとしての出場試合数が多い選手を並べて見たところトップ10は以下のような結果となった。

1位 石井琢朗(元横浜など):1767試合
2位 鳥谷敬(ロッテ):1761試合
3位 吉田義男(元阪神):1730試合
4位 坂本勇人巨人):1646試合
5位 豊田泰光(元西鉄など):1579試合
6位 白石勝巳(元巨人など):1561試合
7位 高橋慶彦(元広島など):1543試合
8位 松井稼頭央(元西武など):1531試合
9位 井端弘和(元中日など):1525試合
10位 小池兼司(元南海):1494試合
※松井はNPBでの記録のみ

 この中でプレーした時期が最も古いのは白石である。戦前、戦後と巨人で長くショートのレギュラーとして活躍し、晩年は生まれ故郷である広島で選手兼監督としてプレーした。打率3割を二度マークし、通算1574安打を放っているように打撃でも秀でた記録を残しているが、やはり守備の名手として知られており、逆シングルを日本で広めたのは白石だと言われている。

 1950年代から60年代にかけて守備名人として君臨したのが吉田だ。白石と同じ167cmながら体重は56kgと更に小さい体でありながら、抜群の身のこなしで「今牛若丸」と呼ばれた。当時の映像を見ると、捕球から送球の流れの速さは現代の名手と比べても全く遜色なく、プレーのスピード感も素晴らしいものがある。石井に抜かれるまでは長く歴代最多出場記録を誇っていた。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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