「総理、これ会見と呼べますか」。私が続いて投げた声は、安倍首相に届いた。今度は本当に目が合った安倍首相は「いや、それはちょっと」というような困惑した表情で、軽く左手を挙げた。そのまま質問に移ろうというところで広報官が引き取り、「では最後に1問」と、やはり強く抗議していた京都新聞記者の日比野敏陽さんを指名した。

 安倍首相が答え終わると、広報官はまた打ち切りを図った。今度は朝日新聞政治部記者の東岡徹さんが「まだ、あります」と頑強に言い、安倍首相が「まぁいいんじゃない」と指名を促した。そこからさらに3問。最初の打ち切り未遂からは4問、8分ほど延びて、会見は52分で終わった。

 朝日新聞は会見を報じる記事で、官邸報道室から事前に質問内容を聞かれたが教えなかった、と明かした。逆に「質問が尽きるまで会見を行い、フリーの記者も含めて、公平に当てるよう求めた」という。

 記者クラブ常駐の記者が官邸と対峙するプレッシャーは、失うもののない沖縄拠点の私とは比べものにならない。あしたもまた官邸の関係者に会い、情報を取る仕事だから。それでも筋を通し、内幕を含めてきちんと読者に説明した。今はまだ少数でも、先駆けとなった勇気に敬意を表したい。

■生まれつつある変化

 首相会見は変わったのか。3月14日の会見の前にも、「官邸は50分くらいはやるつもりだ」という話があり、実際にそうなった。ガス抜き、「丁寧な説明」の演出だったかもしれない。それでも、官邸とメディアの双方が、高まる批判を意識せざるを得なくなっているのは確かだ。

 その後の3月29日、4月7日の会見では、フリーの江川紹子さん、神保哲生さんらが指名された。事前に内容を把握できない質問に対しては、安倍首相も自らの言葉で答えるしかなかった。内容はともかく、原稿の棒読みとは違って言葉に聞かせる力があった。あまりに遅く、小さいかもしれないのだが、変化は確実に生まれている。

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元来、記者とは「野蛮」な稼業のはず…