天龍源一郎が語る”生涯現役”ベンチプレス200キロ上げたのは50歳過ぎてからだよ! (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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天龍源一郎が語る”生涯現役”ベンチプレス200キロ上げたのは50歳過ぎてからだよ!

連載「70歳からのはっけよい!」

天龍源一郎dot.#プロレス#天龍源一郎#相撲
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす(撮影/写真部・掛祥葉子)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす(撮影/写真部・掛祥葉子)

コンビニは50歳過ぎるまで行ったことない。コンビニなんてレスラーが入っていったらみっともないって思っていた(笑)。ファミレスも行ったことがなかった。50過ぎて初めて家族と行ったときに「お、美味いじゃねーか!」って思ったよ(笑)。(撮影/写真部・掛祥葉子)

コンビニは50歳過ぎるまで行ったことない。コンビニなんてレスラーが入っていったらみっともないって思っていた(笑)。ファミレスも行ったことがなかった。50過ぎて初めて家族と行ったときに「お、美味いじゃねーか!」って思ったよ(笑)。(撮影/写真部・掛祥葉子)

 相撲を辞めるきっかけは俺を相撲の世界に入れてくれた親方が亡くなり、その跡目争いが起きて、急にみんな「二所ノ関部屋」っていう看板に欲をむき出しに争っているのを見て、「なんだよこの人たちは!俺が尊敬していた人たちなのにただの金の亡者じゃないか!」って。そんな姿を見せつけられて、「今までこんなところにいたのかよ」って相撲の世界がすごく嫌になった。そこにたまたまプロレスへの話がきて、プロレスもいいなって思った俺がいたんだ。

 誘ってくれた馬場さんのおっとりした性格とか、プロレスという仕事と私生活を分けたアメリカナイズな生活様式が、相撲部屋の世界にどっぷり浸かっていた俺にはすごく新鮮に映って、「じゃあ、やってみよう」ってなった。

 相撲もそうだけどプロレスも「引退」なんてことは考えたこともなかった。プロレスはね、年齢を重ねていくとテクニックで若いヤツのパワーを沈めていくことができる。闘っていくといろんなテクニックを覚えていって、それで凌いでいける。そんな先輩方を間近で見ていたから、俺は自分の体が痩せ衰えなければずっとプロレスを続けていかれるという確信があったんだよね。

 確信って言うけど、俺、50歳で215キロのベンチプレス上がったんだよ!200キロを上げられるようになったのは50歳過ぎてからだからね(笑)。今思い返しても我ながら凄いよ!50歳になってから挑戦したことが多かったね。50から煙草吸ったりね(笑)。その頃寿司屋を経営していたんだけど、暇だからお酒の飲みながら煙草吸ってみたら「あ、煙草いいな!」って一気にショートホープだよ(笑)。煙草だ、ベンチプレス200キロだとか、50を超えてからやったことだから、この体が永遠に続くのかなって自惚れていたよ。

 ジムでベンチプレスを200キロ上げたあとに、起き上がると目の前に鏡があって、「いい体してんなぁ」って思うんだけど、当時はフリーだったから試合のオファーがこない。自分で売り込んで金額等の交渉をしないと声はかからない待ちの状態で、体はこんなにも絶好調なのにオファーがない。鏡に映った自分を見て「何やってんだよ……おまえ」って自問自答していたよ。


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