コロナ感染公表後共演者からたくさんのエールが送られた志村けん(c)朝日新聞社
コロナ感染公表後共演者からたくさんのエールが送られた志村けん(c)朝日新聞社

 1979年生まれの私はお笑い好きとしては「ダウンタウン世代」だと言える。中高生の多感な時期に『ダウンタウンのごっつええ感じ』『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』などでダウンタウンの笑いに触れて、その虜になった。

 だが、私の世代ではもう1人、忘れてはならない芸人がいる。それが志村けんだ。物心つく頃に『8時だョ!全員集合』でザ・ドリフターズのコントを夢中になって見ていた。その後、後継番組として、ドリフのエース2人である加藤茶と志村の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まった。2人が探偵として共同生活を送るコントを見て、そのライフスタイルに憧れるほどのめり込んでいた。学校が終わった後は親しい友人と「加トケンごっこ」に明け暮れていた。

 ほぼ同時期に志村1人の冠番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』が始まった。田代まさし、いしのようこらが脇を固めていた伝説のコント番組だ。変なおじさん、ひとみばあさんをはじめとする後世に残る名物キャラが次々に生まれた。80年代後半のお笑い好きの小学生にとって『加トケン』と『だいじょうぶだぁ』は確実に見なくてはいけない番組だった。そのぐらい志村は圧倒的なカリスマだった。

 ところが、中学に入る頃から自分の「志村観」が徐々に変化していることに気付かされる。志村より若い世代のウッチャンナンチャン、とんねるず、ダウンタウンの笑いに触れて、そちらの方が新しくて魅力的に見えてくる。中でもダウンタウンの笑いは底知れぬ魅力があり、どんどんそこに引き寄せられていった。そして私はいつのまにか「志村離れ」をしていた。

 今でも志村はテレビでコントを演じている。1974年にドリフに正式に加入して『全員集合』のレギュラーになって以来、実に46年。ほぼ半世紀にわたってコントのレギュラー番組を持ち続けている。

 深夜番組の『志村でナイト』をたまに見ることがあった。そこでは志村が当たり前のようにコントを演じていた。セットや音楽・効果音なども昔見ていた志村の番組そのままの雰囲気だ。いま志村のコントを見て、改めて思う。達人はずっとそこにいた。若気の至りでこちらが勝手に離れていただけだった。

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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志村のコントは職人芸