「道場で精神面は磨ける。もちろん根性論だけもダメだけど、我慢してやればいろいろできるようになる。礼儀などもそうですが、レスラーとして最低限のことを身につけられる」

 米国にも道場的なトレーニングジムは存在するが集まってくるレスラーは多種多様。日本の道場の優れている部分は多いと田中は続ける。

「僕はサブゥー(*2)のリングをよく借りていた。ここに来るレスラーの中には軽い考えの奴もいる。サブゥーから『厳しく相手してやれ』と言われたこともある。もちろんアメリカでも本気で根性あるレスラーもいる。試合に出たいという強い気持ちを持った奴は必ず上達する。それは日米変わらない」

 新崎、田中の2人とも米国経験をアレンジし日本マットで確固たる地位を作り上げた。

「若手で何も知らない状況でWWF参戦した。日本マットの常識のようなものが染み付いていない状態だったので、すべてが参考になった。客観的に自分には足りないものが多いと感じ、それを補うためにも帰国した。両国マットの良いところを掛け合わせて、もっともっと素晴らしいレスラーになり団体にしたい」(新崎人生)

「20年以上も前のことだがチャンピオンになった。その時の財産が生きており、当時のマイク・オーサム(*3)との試合が今でも語り継がれている。『ハードコア』が田中将斗のスタイルで、どこでファイトしようが不変」(田中将斗)

 勝敗のみでなく、内容でも周囲を納得させなければならないのがプロレス。そこにはレスラー自身の経験=生き様が大きく影響を及ぼす。海外マットでの成功体験を持つ2人の言葉は説得力抜群だ。この2人の背中を見続けたレスラーが、海外で爪痕を残すことになる日は近いはずだ。日本プロレス界の伝統が海外でも通用するレスラーを作り上げているのは間違いない。(文・山岡則夫)

(*1)ポール・ヘイマン
米国の伝説的なプロレス・プロモーター、ブッカー。現在はWWEロウのエグゼクティブ・ディレクターを務める。

(*2)サブゥー
椅子や机を使ったハードコア・スタイルでインディの帝王的存在。「アラブの怪人」ザ・シークの実の甥にあたり、来日回数も多数。

(*3)マイク・オーサム
ザ・グラジエーターのリング名でFMW常連でもあり、世界ブラスナックル王座獲得歴もある。田中との抗争は日米で語り草となった。07年42歳で他界。

●プロフィール/山岡則夫
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。