選手や監督として広島を長年支えた山本浩二氏 (c)朝日新聞社
選手や監督として広島を長年支えた山本浩二氏 (c)朝日新聞社

 キャンプイン直後の先月7日、プロ野球界にショッキングなニュースが飛び込んできた。広島の元監督、山本浩二が膀胱がんと肺がんを患っていたことを告白。その他の疾患も含めて7度にわたる手術を受けていたことを発表したのだ。山本といえば4番打者として1980年代の広島黄金時代を支え、監督としても1991年にリーグ優勝を達成し、また2013年に行われた第3回WBCでは侍ジャパンの監督を務めたプロ野球界のレジェンドの一人である。幸いキャンプでは元気な姿を見せていたが、順調な回復を祈るファンの声は多い。

【写真】イチローが「本当の天才」と言った広島の選手とは?

 そして山本氏の経歴を語るうえで外すことができないのが、“法政三羽ガラス”と言われた田淵幸一(元阪神など)、富田勝(元南海など)の存在だ。三人が在学中の法政大は3度のリーグ優勝を果たし、4年時の全日本大学野球選手権大会でも見事に優勝。揃ってドラフト1位でプロ入りし、全員が主力選手となった。同じチームで同じ年にプロ入りした選手が揃って活躍した例としては特筆すべきものだろう。改めて三人のプロ入り後の成績を並べて見ると以下のようになった。

・田淵幸一
1739試合 1532安打474本塁打1135打点18盗塁 打率.260

・富田勝
1303試合 1087安打107本塁打451打点126盗塁 打率.270

・山本浩二
2284試合 2339安打536本塁打1475打点231盗塁 打率.290

 三人の中で最も騒がれてプロ入りしたのが田淵だ。それまで8本だったリーグ戦の通算本塁打記録を大きく上回る22本塁打を記録。これは1997年に高橋由伸(慶応大→巨人)に破られるまで長く最多記録だった。阪神に入団後も1年目からレギュラーとなり、1975年には王貞治(巨人)の連続本塁打王を13年でストップさせ、ホームラン王にも輝いている。その高々と上がる美しい打球の軌道でホームランアーティストと呼ばれた。

 富田は大学時代から強打のサードとして注目され、ドラフト1位で南海に入団。プロ入り2年目には早くも規定打席に到達し23本塁打を放つ活躍を見せている。その後は故障もあって伸び悩み、移籍した巨人では結果を残すことはできなかったものの、三球団目となった日本ハムでは見事に復活し、1977年、1978年と二年連続で打率3割をマーク。中日に移籍後の1981年には史上二人目となる全球団からホームランも記録した。

著者プロフィールを見る
西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

西尾典文の記事一覧はこちら
次のページ
プロで最も成績を残した山本浩二