この番組はある意味、奇人変人大集合的なものだったが、当事者には誇りを、視聴者には畏敬の念を抱かせるような愛情にもつつまれており、彼もまた愛すべきキャラとして認知されたのである。

 さまざまなジャンルでチャンピオンになった20人の戦いぶりやウンチクを紹介した『TVチャンピオンへの道!!』(テレビ東京編 97年)には、もちろん彼のことも紹介されている。

 最初の頁には写真も掲載されていて、帽子はかぶっていない。髪型は80年代からこの時期にかけて流行ったジャニーズ風だ。そういえば、彼は中山優馬に似ているとネットやテレビで話題になったりしている。

 そして、プロフィールにはこんな文章が。

「実力もさることながら、ユニークなキャラクターが人気で『魚ちゃん(最近は「魚くん」)』の愛称で親しまれている。魚の絵を描くのが好きで、将来はイラスト図鑑の発行が夢。現在は海水魚店に勤めながら、あちらこちらの魚を研究中」

 当時はまだ、愛称が明確になっていなかったことがわかる。ちなみに、命名者は後年「ギャル曽根」の名付け親ともなる番組の進行役・中村有志(現・ゆうじ)。彼女もこの番組とは姉妹関係というべき「大食い選手権」で世に出たが、翌年にはタレント活動を始めた。これに対し、さかなクンには進路に関する別の目標があり、ただしそこで挫折するなど、当時はいろいろ葛藤中だったのである。

■絶滅種クニマスの再発見

 その目標とは小学校の卒業文集にも書いたという「水産大学の先生になること」。しかし、大学受験はあきらめ、動植物についての専門学校に進んだ。その後は前出の海水魚店のほか、さまざまなバイトを経験。イラストも描ける魚通として、徐々に知られるようになっていく。

 そんななか、転機のひとつとなったのが、あるすし店との出会いだ。すし職人選手権のチャンピオンが営む店で、番組を通して交流を深めた。魚通選手権での料理対決に備えた特訓をしてもらったり、壁画を描かせてもらったり、作った剥製を置いてもらったりしたという。そこから創作の仕事が増えていったわけだ。

次のページ
東京海洋大学客員准教授に