ロペスとは対照的に、ファミリーネームがアダとなり、とんだとばっちりを食ったのが、90年に日本ハムに入団したウインタースだ。

 同年2月1日に来日したウインタースは、翌2日、キャンプ地の鴨川に合流した。すると、まるで申し合わせたように連日雨降りが続き、例年にない寒さにナインはブルブル。やり場のない怒りの矛先は、新参者のウインタースに向けられた。

「もう春だっていうのに、ウインタースなんて名前だから、冬に逆戻りしちゃうんだよ」「登録名をスプリングかサマーズに変えてくれないかな」などと不満の声が相次ぎ、本人の責任でもないのに、来日早々疫病神のように扱われたのは、お気の毒だった。

「打撃練習を見る限り、クリーンアップは当確」と首脳陣が期待した長打力も、「打とう、打とう」の気持ちが空回りし、オープン戦が本格化した3月15日からの11試合で38打数4安打とお寒い状態が続く。

 だが、そんな“寒さ男”もシーズン開幕戦でいきなり来日1号を含む4打数2安打と“熱男”に変身。「ウインターは終わった。今日からスプリングだよ」の言葉どおり、同年は35本塁打、97打点で不動の4番に。以来4年連続30本塁打以上を記録。コスプレ姿で踊ったり、マジックショーや雨天中断時の本塁ヘッドスライディングのパフォーマンスなど、グラウンドのエンターテイナーとして人気者になった。ウインタースというと、今でも“踊るホームラン王”(実際に本塁打王になったことは一度もないが)の異名を懐かしく思い出すファンも多いはずだ。

 キャンプのフリー打撃で連日のように場外弾を放ったことから、前代未聞の場外打球保険がかけられたのが、83年に阪急(現オリックス)に入団したブーマーだ。

 204センチ、109キロの巨体から特大の打球を放つ“飛ばし屋”は、キャンプ地の高知市営球場でも、連日左翼場外に超特大の弾丸ライナーを飛ばしていた。

 左翼場外には駐車場があり、打球が通行人や車を直撃する事故を心配した球団は、「このあたりまで打球が飛びます。ご注意ください。特にブーマー・ウェルズの打球はものすごい勢いで楽に150メートルは飛びますので、十分気を付けて下さい」と書かれた立て看板を設置するほどだった。

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「保険をかけておいて良かった」