■ニコンD800E・AF-Sニッコール70~200ミリF2.8E FL ED VR(撮影/下瀬信雄)
■ニコンD800E・AF-Sニッコール70~200ミリF2.8E FL ED VR(撮影/下瀬信雄)
下瀬信雄(しもせ・のぶお)1944年、旧満州生まれ。東京綜合写真専門学校卒。山口県萩市で作家活動を続ける。2005年、伊奈信男賞受賞。15年、土門拳賞受賞。主な写真集に『萩・HAGI』『萩の日々』『結界』など。
下瀬信雄(しもせ・のぶお)
1944年、旧満州生まれ。東京綜合写真専門学校卒。山口県萩市で作家活動を続ける。2005年、伊奈信男賞受賞。15年、土門拳賞受賞。主な写真集に『萩・HAGI』『萩の日々』『結界』など。

 デジタルカメラの誕生と進化により、写真の「合成」や「加工」はとても身近なものになった。撮影後にパソコン上で画像を処理することも容易になった。同時に、写真表現としてどこまでの合成、加工が「許容」されるのか、という点は常に議論され続けてきた。その基準は各コンテストでも多様であり、作品のテーマや写真家のスタンスによっても、さまざまな意見がある。

【写真】過去の歴史から「合成と加工」と読み解く下瀬信雄さん

 そこで、現在発売中の『アサヒカメラ』3月号では各界で活躍する写真家に写真の合成と加工に関する「哲学」を聞いてみた。今回は土門拳賞作家の下瀬信雄さんのインタビューを一部抜粋して掲載する。

*  *  *

 写真は「真を写す」と書くでしょう。あれでみんな勘違いしてしまった。本当は「光の絵」ですから、フォトグラフは「光画」と訳したほうが実は正しいのです。

 では、なぜ日本で「写真」という言葉が「真を写す」ものとして広く定着したのか。

 終戦まで全国の学校には「御写真」「御真影」と呼ばれた天皇の肖像写真が配されて、紀元節(2月11日)や天長節(天皇誕生日)などの祭日にはこれを掲げて最敬礼し、教育勅語を「奉読」しました。「御写真」「御真影」というのは単なる肖像写真ではなく、「その人の真を写したもの」、つまり、天皇の代理だったのです。

 あと、遺影ですね。みんな亡くなったら写真が飾られますよね。それは真にその人がそこにいる、ということを確認するための手段なのです。これは写真の非常に大事な用途です。それには「写真」という言葉がぴったりだとみんなが思ったのですね。それで、写真という言葉が定着した。

 それからもうひとつ挙げると、1950年代に土門拳が「絶対非演出の絶対スナップ」というスローガンを掲げた。真を包んだ写真、ドキュメントで真を写すのだ、という運動が非常に盛んになって、それが当時、アマチュア写真界の主流になった。

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自身の作品を題材に「合成と加工」を解説