99年、阪神の監督になった野村氏は、前年山田勝彦と併用だった矢野を開幕から正捕手で使いつづけた。当初は「無難な捕手は勝負弱い」(ヤクルト戦でペタジーニに決勝弾を許す)と酷評したが、「いつも怒られてばかり」だった矢野が4月23日のヤクルト戦で完封勝利に貢献すると、「味のあるリード。思わず“上手い!”っていうのが何回かあった」と初めて褒めた。さらに矢野は「捕手というのは配球を読んでいるのだから、それを打撃に生かすべきだ」の助言も実行し、同年、初の3割をマーク。野村氏退任後の03年、05年と2度のリーグ優勝に貢献し、名捕手の仲間入りをはたした。

 楽天監督2年目の07年、野村氏はルーキー・嶋を正捕手に抜擢する。中学時代の成績はオール5。「リードは応用問題なのだから、勉強ができるほうがいい」という理由からだった。そんなプロ1年生に、野村氏は「守っているときは監督以上の仕事をしているという認識でやれ。バッテリーの後ろで守る選手の生活、オレのクビはサインを出すお前の右指にかかっている」とまで言いきって、“分身”としての自覚を促した。

「真面目過ぎる性格」の嶋は、リードが慎重一本鎗で単調になりがちな欠点があった。それを修正しきれないまま、野村氏は09年限りでチームを去るが、その後、嶋は「野村監督に“優勝チームには名捕手あり”と言われていたので、必ず優勝したいと思っていました」と精進し、13年の球団初の日本一に貢献した。

 この3人のV戦士の中で野村氏が最も高く評価していたのは、古田である。

「矢野と嶋が外角一辺倒の正攻法で慎重だったのに対し、古田には正攻法に奇策を組み込む大胆さがあった」からだ。「慎重」だけではなく、重要局面で腹を括ったリードができる。そんな“勝負師”としての資質を古田は兼ね備えていた。“ID野球の申し子”たる所以である。

 3年前、たまたま野村氏の関連著書のお手伝いをする機会に恵まれ、インタビューテープをもとに、前書きをまとめたことがある。その中で、野村氏が3人中唯一名前を挙げたのも、古田だった。

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「古田はケチで」の真意とは…