■もうテレビにしがみつかなくてもいいんじゃないか

――著書『笑ってる場合かヒゲ』(1)の中で「世界を席巻する」って書いてらっしゃいます。実際、「水曜どうでしょう」はNetflixでも配信されて世界中から視聴されるコンテンツになりましたね。

 え? 俺そんなこと書きましたっけ?……あ。書いてるなあ(笑)。

 僕、テレビマンですけど、最近全然テレビ見てないんですよ。テレビなんてもう、スポーツと報道だけでいいんじゃないかな。「水曜どうでしょう」も配信だけでいい気がする。

 昔はあんなにテレビにかじりついてたのにね。子どもの頃は好きな番組見たさに大急ぎで風呂へ入ったり、「宿題もうやったよ」なんて親に嘘ついたり。でももうそんな時代じゃないですよね。「どうでしょう」も新作放送のときこそ「待望の!」「テレビの前で待ってました!」って言ってもらえるけど、そこから先は配信があったりDVDになったりしてる。つまりね、時間の使い方が「テレビ軸」じゃなくて「自分軸」になってるんですよ。もうテレビは人間を縛れなくなってきてるんです。

 でもそれはいいことだと思う。

 僕らの仕事は番組=コンテンツを作ること。これはビジネスであってお金儲けのためにやってることです。その観点から見たら、今はスポンサーつけてCM流すより、課金制にしたほうがお金が入る。視聴者に無料で提供できるのがテレビのいいところでもあったけど、CMや視聴率に縛られ続けた結果、肝心のコンテンツがおろそかになってるんじゃないか。忖度(そんたく)だらけで似たような番組ばかりになって見放されるぐらいなら、見る人から直接お金をもらったほうがよっぽど健全な番組ができるんじゃないの?っていう気がします。

 その点、Netflixはすごいですよ。どこの国のコンテンツだろうと、一度価値を見いだしたら、すごいお金を出して買ってくれる。テレビで放送しても、せいぜい日本の中だけで、ある30分間しか占有できないけど、配信なら世界中の誰もが、この先もずっと、見たい時に見られる仕組みがある。

 僕の仕事は番組を作ること。それをどこに・どう流せばお金になるかなんて、「担当の人、考えてよ」って話ではありますけど。でもせっかくなら、なるべく儲かるところ・楽しんでもらえるところに流したいじゃないですか。だって、多様性を乗り越えて、明るい方だけを見て、必死で作ってるんですから。

(取材・構成/浅野裕見子)