■改憲を志向する経済界

 朝鮮戦争の特需をきっかけにアメリカとの関係を深めた日本の経済界も憲法改正を志向するようになる。日本最大の経済団体「経済団体連合会」(現在の「日本経済団体連合会」。以下、経団連)に設置された防衛生産委員会の初代委員長で、戦前「零戦」の生産にも関わった郷古潔(ごうこ・きよし)は、その中心にいたうちの一人だ。

 郷古は戦前、「零戦」の生産を主導し、戦時下の東条英機内閣を顧問として支えた。終戦後、公職追放の対象となったが、解除されると、経団連の顧問に就任。経済界、防衛産業界の重鎮として再び力を持つようになる。郷古は当時、次のように語っている。

「冷戦以下の潜在的な不安はなくなるものでないし、そういつた東洋の風雲から日本はいずれ憲法を改正し、防衛力を増強して自衛体制を整備しなければならないだろう。その意味からいつて兵器産業はますます重要になつてくる」(「経済展望」、1954年9月)

■現在の改憲議論とも重なる論点

 政治の場では、改憲派の理論的支柱と呼ばれた政治家・広瀬久忠(ひろせ・ひさただ)の改憲構想を中心に、当時の改憲派が何を目指したのかも、今回発見された資料から明らかとなった。

 広瀬は1889(明治22)年に、今の甲州市にあたる山梨県の旧七里村で生まれた。東京帝国大学法学部を卒業し、戦前は法制局長官や厚生大臣などを歴任。戦後は公職追放の処分が下されるも、のちに参議院議員として政界に復帰した。自身の公職追放の間に制定された憲法の改正を訴えの中心に据える。

 1955(昭和30)年に、改憲を目指して超党派の国会議員が集まって発足した「自主憲法期成議員同盟」の初代会長も務めた広瀬の改憲試案の前文には、次のように記されていた。

「日本国民は、おおよそ一国の歴史と伝統が国の自主的な存立をささえ、かつ、その独自の発展力をつちかう基盤であつて、国の固有の生命がすべてここを源として生成し、発展することを確信する。よつて、われらは、わが国の歴史と伝統に対する正しい認識を堅持し、日本国の固有の生命の持続発展を全うすることを希求して、ここに、外国軍隊の占領下に制定された日本国憲法を全面的に改正し、国家生活に関する規範を決定する」

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初めて浮かび上がった事実…