そしてもちろん面白いことが起きれば、自分の胸にしまっておくなんて勿体なさすぎる。

 誰かに「ねえねえ」と聞いてほしい。笑ってほしい。

 つまりは書くことによって、苦しみは半分に、喜びは倍になるのだ。

 いやこのセリフ、どこかで聞いたな……そうだ結婚式? 

 つまりは書くということは、人生に結婚ばりの効力を発揮するのである。

 書くことによって、自分で自分の人生を支えることができる。そして人とつながることができる。

 自分の存在を誰かに認めてもらうことができる。

 そう思うと、この厳しい時代に誰もがSNSで発信しまくっている理由がわかる気がします。

 みんな孤独なのだ。

 生きていく勇気がほしいのだ。

 私もその中の一人なのである。

 今ってきっと、そういう一人一人の発信が「民主主義」を良くも悪くも支えていく時代なのかもしれませんね。

 その中でのマスコミの役割って、私が思うに「クラウドファンディング」みたいなものなんじゃないか。

 私が月々新聞代を払っているのは、毎朝やってくる新聞の対価というよりも、記者の方々にこのお金を使って、私が行けないところに行って、私が会えない人に会って、見るべきものを見て聞くべきものを聞いて、我々が知らなきゃいけないことを、たとえそれが誰かに耳の痛いことであっても、政権の怒りを買うことであっても、ちゃんと伝えて欲しいのである。そのための先行投資なのだ。

 そうこれからは、大きな権威や権力が上から何かを押し付けるのではなくて、誰もが緩やかにつながって、やるべきことをやり、言うべきことを言い、何かを形作っていく時代なのかもしれない。

 そんな中で私も、自分に書けることを、あんまり苦しくならない範囲で書いていけたらいいんですけどね。

 でも絶対苦しくなるんだろうな。

 それでも書いていくんだろうな。

 苦しいだけが人生だ。

 それを良い人生というのだきっと。

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稲垣えみ子

稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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