バングラデシュ側にいたラカイン人は、その後、イスラム教とも対峙しなくてはならなくなっていく。
この椅子に座っていた老人は、ほぼネイティブな英語を操った。植民地時代を生き抜いてきたのだ。しかし、バングラデシュ独立後、イスラム教が国教になるなかで収入の道を断たれる。ラカイン族はコックスバザールのほとんどの土地をもっていた。それをイスラム教徒に切り売りしながら家族を養うことになる。老人もそのひとりだった。しかしラカイン族の誇りは失っていなかった。没落貴族の典型だった。息子は、「ウイスキー1本で売ってしまった土地もあった」と父親である老人を非難する。
そんな時代をこの椅子は見続けてきた。
コックスバザール滞在中に使わせてもらう部屋に、そのラカインチェアーを置いてもらっている。老人は20年ほど前に他界したが、椅子は健在だ。広いアームの上に甘いミルクティー。それを飲みながら、コックスバザールの喧騒を眺める。僕ははじめて会ったときの老人の年齢になっている。