週刊朝日ムック『歴史道Vol.8』では、家紋と名字を大特集。日本人の名字の種類は多い。漢字違いや読み違いを含めると、その数は約30万種類に達するという。私たちが名乗っている名字は、先祖から脈々と受け継がれてきたもの。名字の成り立ちを知れば、あなたの出自が見えてくる! ここでは「全国名字ランキング200」の中から、日本人の名字で数の多い順に第1位の「佐藤」、第2位の「鈴木」、第3位の「高橋」について、その起源や発祥などを紹介する。ちなみに、上位以降の順位は「田中」(4位)、「渡辺」(5位)、「伊藤」(6位)、「山本」(7位)、「中村」(8位)、「小林」(9位)、「加藤」(10位)だった。
【写真】歴史上の人物で日本人名字ランキング第三位の「高橋」と言えばこの人!
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■第1位■ 佐藤
程よく出世した武家のあやかりやすい名字が庶民に人気を博した左衛門尉という官位と藤原氏が合わさって佐藤に。
全国でもっとも多く広がる佐藤氏には、いくつかの起源があるとされる。そのなかでもよく知られるのは、平安中期の貴族である藤原秀郷(ふじわらのひでさと)を起源とするものだろう。
藤原氏は、皇極(こうぎょく)天皇四年(645)にはじまった大化の改新で知られる中臣鎌足(なかとみのかまたり)および子の藤原不比等(ふじわらのふひと)を発祥とする。そこから藤原南家、藤原北家(ほっけ)、藤原式家、藤原京家の四家に分かれ、このうちもっとも栄えることになったのが藤原北家だ。この北家で平安中期に武家として活躍したのが、秀郷である。
秀郷は平将門(たいらのまさかど)追討の功で従四位下(じゅしいげ)となって下野(しもつけ)国および武蔵国の国司と鎮守府(ちんじゅふ)将軍に叙せられ、関東を拠点に勢力を拡大した。その子孫である藤原公清(きんきよ)が左衛門尉(さえもんのじょう)という官位に任ぜられて代々世襲されたことから、「左衛門尉の藤原」の名が定着し、そこから転じて「左藤(佐藤)」となった。
ここで、関東有数の武家に成長しながら大名家とならなかったことが、佐藤氏の広がりを後押しする。主君の名字を武家や庶民が名乗ることは憚(はばか)られた時代、佐藤氏は名乗りやすかったのだ。
この他、秀郷が下野国佐野に住んだことから「佐野の藤原」で、佐藤と名乗ったとする説もある。また、佐渡守を任じられた藤原氏の一族も、佐渡島に因んで佐藤を名乗ったという。
秀郷を祖とする佐藤氏の著名人としては、第六十一代内閣総理大臣・佐藤栄作が知られる。
■第2位■ 鈴木
熊野信仰に支えられ戦国武将の躍進に伴い全国的に広がった稲穂を積んだ「ススキ」に因む熊野信仰に関連した名字。
鈴木氏の発祥は、紀伊半島の熊野地方とされる。
熊野信仰の中心地として知られ、これに携わる人々が初代・神武天皇に多くの稲を献上したことから、穂積(ほづみ)の名字を賜っている。そのため稲穂は熊野地方で格別な意味を持った。加えて、稲穂を積んだものを熊野地方では「ススキ(スズキ)」と呼んで農耕の神が宿る依(よ)り代(し)ろと捉えていたため、これに因んだ鈴木氏を多くの人々が名乗ることになる。