その感覚(仮説)を確かめてみようと思い、まずはこんな質問をしました。

「以前はできたのに、最近できなくなった優しくすることって、どんなことですか?」

 美弥子さんは、

「以前は、夫が好きなメニューを中心に食事を作っていましたが、最近は子どもが喜ぶものばかり作っているとか、以前だと夫が帰ってくると、子どもに『お父さんが帰ってきたからちょっと待っていてね』と言って、夕食を温めなおしたりしたのですが、いまは自分でチンしてもらっています」

 正尚さんにも聞いてみます。

「ぎすぎすって、例えばどういうことですか?」

 正尚さんは、

「笑顔がなくなりましたね。なんにつけ、つっけんどんな物言いをして、私だって人間なのでこれじゃ、仲良くできないですよ。多少嫌なことがあっても、笑顔で接するというのが温かい家庭を作る第一歩じゃないですかね」

といいます。美弥子さんに「それを聞いてどう感じますか?」とお聞きすると

「夫の言う通りで、私がもっと頑張るべきだというのはわかっているのですが……」

とおっしゃるので、「きついですよね?」と聞いてみました。

「きついって、思っていませんでした」

というのが、美弥子さんの答えでした。

 つまり、自分はきついんだ、と今までわかっていなかったけど、言われて気付いたということです。自分がきつければ、人にやさしくするのは当然難しくなります。親の育て方や性格のゆがみという漠然とした原因では悶々とするだけですが、自分はきついから優しくしにくいんだ、と理解できれば、第一段階として気持ちが楽になります。

 これを時短して、私が「正尚さんの対応がきついので、正尚さんに優しくできないんです」とアドバイスすれば、3秒もかからず終わりますが、美弥子さんの気持ちが緩むことはないでしょう。さらに、正尚さんは反論されるか、役に立たないカウンセラーと認識されて二度と来ていただけなくなるかのどちらかではないかと思います。

(少なくとも私の)カウンセリングもそういうものです。夫婦の問題を解決することだけを、倍速で時短することはできないのです。しかし、裏技が流行っているせいか、カウンセラーは自分が知らない技を使っていて、それを知りたいと考える人は多くいます。正尚さんの考えもすぐには変わりませんでした。

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「カウンセラー=医者」ではない