思春期は迷いや誘惑があって当然だが、南野の中ではやはりサッカーが最優先だった。ゆえに、指導者に厳しいことを言われても反発せず、素直に受け入れたのだ。中学生になりたての頃のエゴイストのままだったら、今の南野拓実はいなかった。高いレベルへと導いてくれるセレッソという素晴らしい環境に身を置いたことが彼の成否を分けたと言っていいだろう。

 リバプールデビュー戦で見せたような守備の献身性とハードワークの重要性を体得したのもセレッソ・ユース時代だった。恩師・大裕司監督から「守備をしろ」と口を酸っぱくして言われたのが南野の考え方を大きく変化させた。

「自分はもともと点取り屋なんで、ユースに上がった当初は『点取ってればいいやろ』みたいな考え方だったんです。『ちゃんと守備しとるやろ』って。だけど、いい守備をして、いいポジションからスタートすれば後々ラクになる。その大切さを大熊さんに叩き込んでもらったのは大きかったですね。

 ハードワークするためには走力や運動量もないとダメ。毎週火曜日のフィジカルの日はホントきつかった(苦笑)。月曜日のオフも楽しめなかったですね。でも、どんなに厳しい練習も妥協せずにやってこれたって言い切れる自信がある。それが今の自分を支えています」

 そうやってプロで通用するフィジカルとメンタル、攻守両面の意識の高さをうまく養えたからこそ、彼は17歳だった2012年11月の大宮アルディージャ戦でいち早くJ1デビューを飾り、2013年にJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞。そして、2014年ブラジルワールドカップの予備登録入りという具合に、一目散にスターへの階段を駆け上がったのだ。

次のページ
そして憧れたスターたちと同じ舞台に…