この発言に同調するように、他の委員から資料館建設が選挙の争点になることを懸念する意見が出た。それに対し、市村委員はこう応じた。

<市村委員)政争の具に使わないでという思いはまったく同じ。ただ、周知が十分でなかったので、今回はその努力をしようということ。幅広い人たちの意見を聞いて進めていきたい>

 錦織市長が歴史資料館を「白紙」にすることを表明したのは、この会議から6日後の2月21日。この会議は、市長選で「白紙」を表明するために地元への地ならしをしていたと思われても仕方がない発言だ。

 副市長は特別職の地方公務員だが、錦織市長の再選に向けて地元の説得にあたっていた可能性が高い。市長選で敗れた佐藤氏は、こう話す。

「実は、市が最初に開示した議事録では発言者の名前はすべて黒塗りにされていました。そのため、最初は『白紙』を主導している委員が誰かわからなかったのです。市民に公開されている会議で発言者の名前が伏せられているのはおかしいと思い、茨城県に確認したところ、県から指導が入ったようで名前入りの議事録が公開されました。すると、『白紙』を主導していたのが市村副市長だったことがわかったのです」

 その後は錦織市長と市村副市長のシナリオ通り。18年11月に開催された第4回の審議部会には錦織市長も出席し、〈参道を歩行者天国にして、(歌手の)相川七瀬さんにスイーツの店を出してもらうとかいう話もある〉とリップサービスまでしている。19年3月には歴史資料館の建設の是非を問う住民投票条例案も市議会に提出されたが、賛成少数で否決された。

 歴史資料館の建設はこのまま強行されるのか。

 錦織市長は自らの後援会報で、資料館の建設費で約18億円、全体の整備費用で約30億円と言われる計画の費用について、「全体の約4割が国からの補助」と説明している。つまり、半分近くは国の予算が財源ということだ。ところが、事業を所管する内閣府の説明資料では、補助金の認定を受けるためには「地域住民等の理解」が必要と定められている。前出の佐藤議員は言う。

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市民の9割が反対の計画は実現できるのか