●延暦寺と坂本と光秀の関係

 延暦寺へは京都府側からも行くことは可能だが、お寺の歴史を知るためにはやはり滋賀県側から登山するのがよい。光秀ゆかりの地・坂本からはケーブルが延暦寺まで運んでくれるし、延暦寺の守護・日吉大社は延暦寺へ続く参道入口に鎮座する。坂本一帯には比叡山の子院が立ち並び、光秀墓所の西教寺もこの地にある。当然ながら、これらのお寺も比叡山焼き討ちの戦火を浴びた。

 それどころか、琵琶湖の対岸の「湖東五山」と呼ばれた天台宗のお寺にも火がかけられた。西明(さいみょう)寺・金剛輪(こんごうりん)寺・百済(ひゃくさい)寺の三山は風光明媚なお寺として復興、現在では「湖東三山」と呼ばれるに至っているが、それでも復興のために他の子院同様、多くの寺宝を手放している。

 本能寺や光秀首塚のある京都が明智光秀のゆかりの地と思いがちだが、半生が不明であり、様々な伝説的逸話が残る光秀の人生の中で最も武将としての業績を残したのが近江国ではないかと思える。光秀は山崎の戦いから坂本城を目指して敗走する途中、農民に竹槍で刺されたと言われる。もし坂本城に入れていれば、秀吉の天下取りはなかったかもしれない。焼き討ちされたにもかかわらず、光秀に対して今でも親しみを持っている坂本の人たちを見ていると、よい領主だったに違いない光秀を守ったのではないかと思えるからである。

【寺院の情報】
延暦寺…創建は延暦7(788)年、最澄によって開かれた天台宗総本山。各宗派の開祖がこの地で修行した。滋賀県大津市坂本本町4220

西教寺…開基は聖徳太子とも伝わる。滋賀県大津市坂本5-13-1

日吉大社…山王権現とも呼ばれ古事記にその名が残る。全国の日吉・日枝・山王神社の総本社。滋賀県大津市坂本5-1-1

坂本城址公園…往時は琵琶湖上だった場所だが、現在は公園となり明智光秀像が立っている。付近には坂本城址の史跡も。滋賀県大津市下阪本3-1

聖衆来迎寺…最澄開基と伝わる。比叡山焼き討ちを免れた数少ない寺。信長家臣の森可成(もりよしなり)の墓があったためとも。滋賀県大津市比叡辻2-4-17

西明寺…僧侶の機転により焼き討ちからの全焼を免れ国宝指定の本堂と三重塔が残る。紅葉の名所。滋賀県犬上郡甲良町大字池寺26

金剛輪寺…行基により天平時代に創建されたと伝わる。本堂までの長い石段が焼き討ちから本堂(国宝)を守ったとも。紅葉の名所。滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874

百済寺…聖徳太子建立と伝わる。本尊も太子彫刻の十一面観音像。六角承禎(ろっかくよしかた)の味方をしたことから焼き討ちにあい、のちに信長はこの寺に陣を置いた。滋賀県東近江市百済寺町323

(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

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鈴子

鈴子

昭和生まれのライター&編集者。神社仏閣とパワースポットに関するブログ「東京のパワースポットを歩く」(https://tokyopowerspot.com/blog/)が好評。著書に「怨霊退散! TOKYO最強パワースポットを歩く!東東京編/西東京編」(ファミマ・ドット・コム)、「開運ご利益東京・下町散歩 」(Gakken Mook)、「山手線と総武線で「金運」さんぽ!! 」「大江戸線で『縁結び』さんぽ!!」(いずれも新翠舎電子書籍)など。得意ジャンルはほかに欧米を中心とした海外テレビドラマ。ハワイ好き

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