写真が苦手な浅沼だが、早朝や深夜を問わず行われた撮影でも終始リラックスできたと振り返る。

「メイクさんとかスタイリストさんとか、スタッフみんながずっと一緒にいて、楽しんで撮影していて。大学時代に映画を撮っていたときのようでした。懐かしさも相まって、リラックスして撮影することができましたね。僕も演出に関わらせてもらったので、ほんの少しだけ映画監督の気分を味わえました」

 そうして完成した写真集のタイトルは映画鑑賞に欠かせない、あのアイテム。

「これも僕の提案で『POPCORN』に決まりました。所属しているエンターテイメント・ユニットの『bpm』には、皆さんにとってのテーマパークみたいな団体でありたいというコンセプトがあって。テーマパークと映画館と言えばこれだよねというタイトルになりました。ほかにもエンドクレジットとか、イマジナリーラインとか、映画にまつわるタイトル候補はいっぱい上げていたんですけど、僕にとって初の試みで、ある意味『弾けた』というメッセージも込めて、これに決めました」

■10年後も輪郭のわからない人でありたい

 声優デビューから13年、舞台に関わり始めてからは20年以上のキャリアを持つ浅沼。ジャンルをまたいで多彩な活動を行ってきたが、これからも変わり続けることを恐れない。この先をどう過ごしたいかたずねると、こんな言葉が返ってきた。

「10年後、隣に誰か伴侶がいてほしいなとは思いますけど、それは置いといて(笑)。『その年でいまさら?』と言われるようなことには、これからも挑戦していきたいですね。いくつになっても新しいことを始めていいんだって、誰かがそう思えるようなことを、自分のためにやりたいです。

 もし僕が自転車に乗れなかったとして、43歳で自転車の練習するの、恥ずかしいじゃないですか。でも、ひょっとしたらその姿は誰かに勇気を与えるかもしれない。自分のために起こした行動が流れ弾のように刺さって、変わる誰かを見たいんです。

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死ぬまでにひとつでも悔いを減らしておきたい