それでも、見事な復活だといえる。それができた理由はなんなのか。注目したいのは「ESSE」12月号での発言だ。大手術の直後、ICUに入った彼女は、声すら出せず、違和感しかない舌の状態に直面し「地獄にいるようだった」という。

「すると、心のなかに真っ黒な感情が湧いてきて。口内炎だと言い続けた医師たちに対する恨みと怒りです。『あのとき異変を見過ごさずにいてくれたら、私は舌を失わずにすんだかもしれない…』。せっかく命を助けていただいたのに、そんなことを考える自分がいやになりました」

 本人は自己批判的に語っているが、むしろ当然の感情だろう。逆に、治療に入る前、医師たちを責める気にならなかったほうが不自然だし、そういう人は無意識にストレスを溜めやすい。おそらく、自分のなかの「恨みと怒り」を自覚でき、のちにこうして口にもできるようになったことが、闘病をしていくうえでもプラスになったのではないか。

 そういえば、彼女の闘病が注目を浴びていた時期、あるワイドショーのコメンテーターがこんなことを言っていた。

「この人は本当に、生活ってものが好きなんでしょうね」

 なるほど、そうでなければ、何度も結婚離婚を繰り返しながら、5人もの子供を生み、家事や育児に邁進していくことは不可能だろう。そんな大好きな「生活」を奪われそうになったことへの恨みや怒りが、その「生活」をなんとしても取り戻すのだというパワーにもつながった、そんな気がするのである。

 最後に、個人的な話をすると、筆者は38年前の夏、ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝した彼女を見て、大ファンになった。こうして芸能関係の文章を書くようになったのも、彼女の存在が大きい。いわば、自分の青春の一部みたいなものだったりする。

 筆者のケースは極端だとしても、40代後半から50代にかけての人たちのなかには彼女に同世代っぽい意識を持つ人が一定数いるはずだ。芸能人、特にアイドルは青春と結びつくことが多いし、なかでも「スチュワーデス物語」の「ドジでのろまな亀」というキャラで知られる彼女は親しみやすさが持ち味だった。

 そういう人たちにとって、彼女の闘病は他人事ではなく、さまざまな感傷や共感を呼び起こすものだったに違いない。もちろん、それはまだ途上でしかないが、闘病「生活」すら楽しんでしまえそうなその姿勢は、生きるヒントにもできそうだ。

宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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