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「芸人は同情されたら終わり」多発性骨髄腫告白の宮川花子の忸怩たる思い

連載「上方芸能ここだけの話」

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中西正男dot.
夫婦漫才コンビ宮川大助・花子(撮影/中西正男)

夫婦漫才コンビ宮川大助・花子(撮影/中西正男)

 12月10日、大阪・難波の吉本興業で夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」の会見が行われた。内容はこれまでの報道にも出ているように花子が「症候性多発性骨髄腫」を治療中であるというものだった。

 1999年、デイリースポーツに入社して演芸担当記者となったことをきっかけに、今に至るまで20年以上、二人をそれこそ数えきれないほど取材してきた。

 入社して間もない頃、二人にインタビューをし、それを漫才台本風の掛け合いの形で原稿化する“紙上漫才”という企画で話を聞いたのがしっかりと取材をした最初の機会だったと記憶している。

 そこから二人の銀婚式を祝う食事会にも参加し、会見やインタビューの度に、DHF(大助・花子・ファミリー)のTシャツやグッズを「これ、記念に持って帰り!」と花子から渡された。時には、花子が毛糸で作った手編みの財布をもらったこともある。

 そういった形で取材を続けてきた者として、今回の会見はこれでもかと心を揺さぶられるものだった。

 そして、会見当日にアップしたYahoo!拙連載「なにわ芸能かわら版」にも一部綴ったが、これまで二人からあらゆる話を聞いてきた。

「漫才をしていたからこそ、何回も離婚を考えました。漫才をしてなかったら、娘にももっと時間をかけてあげられたと思います。夫婦それぞれもっと健康にも気遣えたかもしれません。結婚40周年記念のイベント日、(2016年)4月9日になったんです。劇場(なんばグランド花月)の都合もあってこの日になったんですけど“死(4)ぬまで苦(9)しむ”。ようできた話ですわ(笑)。ただね、40年かけて、少しずつ分かってきた気もするんです。漫才があったから、人に喜んでもらえる夫婦になれたんやと」(花子)

「これまで僕が『ようやった!』と思えるのは、たった一つです。胃がんはヨメさんに行ったけど、脳出血は僕が引き受けることができた。それだけです」(大助)

「僕の誕生日には、僕の欲しい物やなくて、嫁はんの欲しいものを買うんです。なんでかって?嫁が喜ぶ姿が、僕にとって一番のプレゼントやから」(大助)


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