今年亡くなった金田正一氏(左)と北尾光司氏(右) (C)朝日新聞社
今年亡くなった金田正一氏(左)と北尾光司氏(右) (C)朝日新聞社

“令和の怪物”佐々木朗希、女子ゴルフの渋野日向子、ワールドカップで快進撃をみせたラグビー日本代表のメンバー……今年もスポーツ界では新たなスターが誕生し、大きな感動を与えてくれた。

 一方で惜しまれつつもこの世を去ったアスリートや、その関係者たちもいる。これまで幾度となく日本の国民に勇気や感動を与えてくれた感謝を示し、故人たちの現役時代の偉業や、思い出を振り返ってみたいと思う。

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■北尾光司(相撲、格闘技・55歳)

 1909年(明治42年)に優勝制度が導入されて以降、初めて優勝経験のないまま横綱となった。立浪部屋へ入門時に本名の「北尾」、横綱に昇進してからは「双羽黒」をしこ名として戦った。角界からの引退後には、プロレスラーに転身。KO負けを喫してしまったが、1992年に日本武道館で行われた『格闘技世界一決定戦』での高田延彦戦は、今もプロレスファンの間で語り継がれる伝説の一戦となっている。

■ザ・デストロイヤー(プロレス・88歳)

 覆面レスラーとして、日米両国で人気を誇った。来日初戦の力道山戦では壮絶な戦いを披露し、テレビの平均視聴率が驚異の64%を記録。得意技「足4の字固め」を武器に、大きなセンセーションを巻き起こした。その後もジャイアント馬場や、アントニオ猪木といった日本を代表するレスラーと激闘を繰り広げ、プロレスファンを熱狂させた。晩年になってからも「親日家」として度々来日し、日本プロレス界で存在感を放った。2017年には日米友好親善や、青少年交流に貢献してきた実績が評価され、外国人叙勲者として旭日双光章を受章している。

■山田直稔(オリンピック応援・92歳)

 五輪で日本の選手たちを応援する“オリンピックおじさん”として五輪には欠かせない存在だった。競技者ではなかったが、日本スポーツの歴史をスタンドから見守った功労者だ。1964年の東京五輪から2016年のリオ五輪まで、14大会連続で夏季五輪の応援のために開催地に赴いた。五輪に4度出場した卓球の福原愛は、山田さんの死去を受け「オリンピック会場の観客席にオリンピックおじさんを見つけると、異国の地でも何故だかほっとしたのを覚えています。大きな大きな声援、ありがとうございました」と自身のツイッターで語ったように、選手たちにも“勇気”を与える存在であった。

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マラソン界の名伯楽も…