05年ヤクルト希望入団枠の武内晋一は、智弁和歌山高で1年からレギュラーとなり、2年春に準優勝、夏は優勝。早稲田大でも1年春からリーグ戦に出場し、日米大学野球ではMVPに輝いた。ヤクルトでは故障が多く、13年間のプロ生活で一度も規定打席到達がなかったが、勝負強い打撃で左の代打など、息の長い活躍を続けた。

 最後に、近年の「不発の大砲」として、愛知県でかつては私学4強と呼ばれた強豪校出身の2人を挙げたい。

 06年に高校1位で中日に入団した堂上直倫は、父と兄も中日の選手というサラブレット。中学生の時にナゴヤドームで行われた中日のファン感謝デーでのエキシビジョンマッチで、リトルシニア東海選抜の4番打者として出場した堂上は、中日側で投手を務めた福留から左翼スタンドに飛び込む本塁打を放った。愛工大名電では春のセンバツで2本塁打を放ってチームの優勝に貢献し、ドラフトでは3球団競合で1位指名を受け、地元の中日に入団。ちなみに、抽選を外した巨人の外れ1位指名は坂本勇人だった。坂本が球界を代表する選手に成長したのに対して、堂上は打撃面で苦しみ、なかなか一軍で定位置を確保することができなかった。それでも堅実な守備でチームに欠かせない存在となり、今季はプロ13年目で初の2ケタ本塁打と、打撃面でも覚醒の兆しが見えている。

 09年広島2位の堂林翔太は、エース兼4番として中京大中京を夏の甲子園優勝に導いた。決勝戦では本塁打を放ち、1大会の通算タイ記録となる6二塁打を記録するなど、打率.522、12打点とスラッガーの片鱗を見せた。野手専念となった広島での入団時の背番号はアレックス・ロドリゲスの「13」。プロ3年目に野村謙二郎監督の抜擢で144試合フル出場を果たし、飛ばないボールの統一球のシーズンでチーム最多の14本塁打を放った。その一方で、三塁手として両リーグワーストの失策数を記録し、150三振もリーグ最多と弱点も露呈した。背番号が現役時代に野村監督が付けた「7」となり、その後も一軍での起用が続いたが、守備の不安と確実性のない打撃で徐々に出番が減り、最近2年間は本塁打ゼロ。外野も含めた複数ポジションを守り、現在は生き残りをはかる状況だ。

 まだ現役選手の堂上と堂林には、これからまだ先に覚醒する可能性がないとは言えない。さらに若い選手では、清宮幸太郎(日本ハム)や安田尚憲(ロッテ)などが、やや伸び悩んでいる印象もあるが、未完のまま終わらないことを願いたい。