「ぜんぜん」

 千秋ちゃんは答えました。

「お友達にからかわれたりする?」

「ううん、髪の毛で隠せるから平気」

 千秋ちゃんは自分の脱毛症を全く気にしてない様子でした。

 大丈夫だ、この子は病気に負けてない。

 私はそう思いました。病気を治すのも大事だけど、病気になったことで千秋ちゃんの心が曇っていくことが心配でした。

 私がほっとするもつかの間、千秋ちゃんは想像していなかった事実を教えてくれました。

「それに、病院に来ればお父さんがご褒美におもちゃを買ってくれるから」

 まだ若かった私は言葉をのみ込めませんでした。

「お父さん、そのやり方は千秋ちゃんにとってよくないと思いますよ」

「私は、千秋に嫌な思いをさせたくはありません。頭ごなしになにかを押し付けるのではなく、納得して治療を受けてほしいのです」

「でも……」と言いかけて私はやめました。診察室は子育ての方法について議論する場ではありません。それに、混雑した外来ではじっくり話し合う時間もありません。仮に、本音で語り合ったところで答えがあるのかもわかりません。

 医者は病気だけを治していればいい。

 極論かもしれませんが「医者の仕事は病気を治すことだけ」と言い切る人がいます。

 一方で、

「病気ばかり診て人間を見ていない」

 ときどき耳にする批判です。

 確実に100%治せる病気であれば、医者はガイドラインどおり正確に治療を行えばいいのでしょう。

 しかし、完治するかわからない、予後の読めない病気と向き合う場合は、どうすればいいのでしょうか。私は「Cure(治癒)を目指しつつCare(気配り)をする」ことが理想だと思っています。

 私もお父さんも治療のゴールは同じです。病気を治すことです。でも、再発を繰り返す円形脱毛症は当分、治らないかもしれない。ゴールを完治させることに設定して、千秋ちゃんは苦しい思いをしないだろうか。つらい経験を避けるために、親子関係がゆがんだものとならないだろうか。そもそも医者はそんなことまで考えなくてもいいものなのか。

 小さなお子さんが治らない病気と向き合うとき、慢性の病気に立ち向かうとき、医者と保護者は二人三脚で治療にあたります。きれいに足並みをそろえるのはとてもむずかしいことです。

 完治が難しい疾患の場合、ゴール設定を間違えてしまうとお子さんだけでなくご家族も苦しめてしまうかもしれません。医学は完璧ではなく、そこを埋める一つの手段がコミュニケーションです。そして、コミュニケーションの正解は患者さん一人ひとり違います。

 あのとき、千秋ちゃんの脱毛症が治らないまま、私は転勤になってしまいました。私はお父さんの話をもう少し聞くべきでした。お父さんにはお父さんの考えや苦労があったのでしょう。

「コミュニケーションでいちばん大事なことは、話すことより聞くこと」

 千秋ちゃんのお父さんとすれ違ってしまったあの日から、診察室で自分に言い聞かせている言葉です。

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大塚篤司

大塚篤司

大塚篤司(おおつか・あつし)/1976年生まれ。千葉県出身。医師・医学博士。2003年信州大学医学部卒業。2012年チューリッヒ大学病院客員研究員、2017年京都大学医学部特定准教授を経て2021年より近畿大学医学部皮膚科学教室主任教授。皮膚科専門医。アレルギー専門医。がん治療認定医。がん・アレルギーのわかりやすい解説をモットーとし、コラムニストとして医師・患者間の橋渡し活動を行っている。Twitterは@otsukaman

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