「『ミス慶應』等を標榜するコンテストについて


 近年、学外において、『ミス慶應』あるいはそれに類する名称を掲げたコンテストが開催されていますが、それらを運営する団体は本学の公認学生団体ではなく、コンテスト自体も慶應義塾とは一切関わりがありません。

 しかしながら、それらのコンテストには本学の学生も参加しており、一部報道に見られるようなトラブルも発生しています。本学はこうした事態を深く憂慮しており、状況によって今後の対応を検討していきたいと考えます。

 塾生諸君へ この件に限らず、塾生諸君には、さまざまなトラブルに巻き込まれることのないよう十分に注意するよう望みます。何か困ったことがあれば、所属キャンパス学生生活担当窓口に遠慮なく相談してください」(2019年9月30日)

 慶應義塾大がミスコンについて公式に触れたのは初めてだ。大学としては、これまでミスコンを「一切関わりがありません」という立場から、無視していた。しかし、慶應のミスコンはブランド力を持ちすぎてしまった。大学教育や研究の中身よりも、大学があずかり知らぬ課外イベントのほうが社会的に注目されてしまう。おまけに週刊誌、ネットでネタになるような騒ぎを引き起こしてしまう。そのたびに大学へ問い合わせがくる。でも、対応のしようがない。

 慶應義塾大はミスコンを無視したいところだが、そうもいかなくなったというのが、この告知から伝わってくる。「憂慮」という言い方には、「トラブル」を防ぐというリスクマネジメントが読みとれる。不祥事を起こさないようにと警鐘を鳴らしたといっていい。だが、ミスコンそのものについて、法政大のように踏み込んだわけではない。

 いま、多くの大学で教育理念や目標としてダイバーシティ(多様化)を掲げている。また、差別されることなく人権を尊重する、という姿勢を明確に示している。

 たとえば、最近、東京大特任准教授がツイッターで差別発言を行った。准教授の所属する学科はこのことについて厳しく批判している。その根拠をこう述べている。

「東京大学憲章では、『東京大学は、構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことを認識し、すべての構成員が国籍、性別、年齢、言語、宗教、政治上その他の意見、出身、財産、門地その他の地位、婚姻上の地位、家庭における地位、障害、疾患、経歴等の事由によって差別されることのないことを保障し、広く大学の活動に参画する機会をもつことができるように努める』と言明しております」(2019年11月24日 東京大学大学院情報学環長・学際情報学府長 越塚登)

 一方で、ミスコン、ミスターコンには、「差別する意図はなく、人権も尊重しており、目くじらを立てるべきではない」という擁護論は少なくない。コンテスト参加学生のなかには、コンテストのために自分を磨き、入賞を機に華やかな舞台で活躍したいと望む者がいる。

 こうしたコンテスト賛成論について、ダイバーシティ、差別撤廃、人権尊重とどう折り合いをつけられるか。大学の理念に関わってくる問題である。そういう意味で、法政大は見識を示したと言える。

(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫