しかし、法政大は違った。法政大は「ダイバーシティ宣言」(2016年6月8日)をいわば運用したのである。

 同宣言には、「性別、年齢、国籍、人種、民族、文化、宗教、障がい、性的少数者であることなどを理由とする差別がないことはもとより、これらの相違を個性として尊重する」という一節がある。これに照らし合わせると、ミスコン、ミスターコンは「主観に基づいて人を順位付け」し、「相違を個性として尊重する」という理念に反しており看過できない。法政大はこう言いたかったのだろう。

 大学のミスコンは1960年代、ミスターコンは1980年代から始まっている。

 しかし、1970年代から90年代にかけて、ミスコンに対しては「外見で判断するのは女性差別」という批判が強くあり、コンテストが「粉砕」されることがあった。

 1978年、名古屋大の大学祭で「ミス・キャンパス・コンテスト」が行われようとしていたが、学内の女性問題研究会からの強硬な抗議を受けて中止となった。同会はミスコン反対の理由をこうアピールしている。

「出場した女性に賞品を与えることで女性を商品化し、しかもそれが男性にとっての商品、見せ物、人形であることは女性が男性にとっての性的対象物であるという歴史的な男性中心の論理をそのまま受け継ぐものである」(「週刊朝日」1978年6月23日号)

 1987年、東京大駒場祭で「東大生GALコンテスト」が開かれようとしたが、反対派と乱闘騒ぎを起こしてしまう。東京大学新聞がこう伝えている。

「開会後しばらくして、急に会場内の照明が消され、数ケ所で爆竹が鳴らされ、様々な姿に変装して花火のようなものを手にした学生がつぎつぎと舞台にあがった。主催者側と合わせて約四十人が舞台上で乱闘状態となり、会は中止となった。乱闘の中で、水をかけたりイスを投げた者もあった」(1987年11月24日)

 1980年代から登場するミスターコンは、ミスコンが女性差別でダメなら、男子学生向けのコンテストも行えばいいのではないか、という発想のものもあったようだ。

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