そして翌朝、朝日新聞(大阪本社版)の1面にはこんな見出しが躍った。

「公明、都構想賛成の意向」

 11日後の5月25日、公明府本部代表の佐藤茂樹は維新代表の松井一郎と会談し、都構想に賛成の立場で協力することで正式に合意した。住民投票の実施だけでなく、可決の公算が限りなく高まった瞬間だった。

 それまでの約半年間、大阪政界は都構想問題で揺れに揺れてきた。

 大阪市を廃止して東京23区のような特別区に再編する「大阪都構想」は、橋下が立ち上げた維新の看板政策だ。15年に住民投票で是非を問うところまでこぎつけたものの、僅差で否決。橋下は政界を去った。

 橋下の盟友で大阪府知事の松井と、橋下の後を継いだ大阪市長・吉村洋文が、再チャレンジを託された。維新は18年秋の大阪・関西万博誘致成功を「追い風」に、再び動き出す。都構想には反対だが住民投票の再実施には協力する姿勢を見せていた公明との協議を加速させた。

 しかし、協議は難航した。両党幹部による最初の極秘会談が平行線に終わると、憤った松井が公明と以前結んだ「密約」を暴露。反発した公明は自民と組み、都構想案を話し合う府・市の協議会で「熟議」を求めて議論を引き延ばしにかかった。2カ月余りに及んだ暗闘の末、維新と公明は19年3月に最終決裂した。

 全面対決の道を選んだ松井と吉村は任期途中で辞職してポストを入れ替え立候補するという「クロス選」を決意。4月上旬の府知事・市長のダブル選で自民、公明などが支えた「反都構想」候補に大勝した。さらに維新は、ダブル選と同日実施となった府議選・大阪市議選でも躍進した。

 公明は「民意」を踏まえたとして住民投票実施に賛成を表明し、都構想にも賛成すると決断。この節目をもって、一連の都構想政局は終止符を打った。5月14日付の朝日新聞の記事は、「勝負あった」状況を他メディアに先駆けて内外に伝える報道と言えた。

 18年末に維新が公明と協議のテーブルに着いてから、19年春の府知事・大阪市長のダブル選に至る駆け引き、告示後にめまぐるしく情勢が変わった選挙戦、ダブル選と議会選で躍進を遂げた維新に譲歩する格好で公明が都構想賛成で足並みをそろえるまでの葛藤、そして夏の参院選――。この間の大阪政治の動きをノンフィクションとして描き切りたい。そんな思いで執筆したのが、本書だ。

 大阪で維新はどうしてこんなに強いのか。そして、大阪政治はこれからどこへ行くのか。本書を参考にしてもらえればと思っている。(朝日新聞政治部次長・林尚行)