都構想の住民投票実施に合意し、会見の最後に握手する松井一郎・大阪維新の会代表(左から2人目)と公明党大阪府本部の佐藤茂樹代表(同3人目)=5月25日、大阪市北区、矢木隆晴撮影 (c)朝日新聞社
都構想の住民投票実施に合意し、会見の最後に握手する松井一郎・大阪維新の会代表(左から2人目)と公明党大阪府本部の佐藤茂樹代表(同3人目)=5月25日、大阪市北区、矢木隆晴撮影 (c)朝日新聞社

 自民党でも立憲民主党でも公明党でもない、大阪維新の会の「1強」体制が続く大阪。その政治手法の実像に迫るため取材を続けていた朝日新聞大阪社会部が、『ポスト橋下の時代 大阪維新はなぜ強いのか』(朝日新聞出版)を出版した。維新創設者で大阪市長だった橋下徹氏が政界を去ったいまも、底堅い地盤を維持し続けているのはなぜなのか。2018年末から19年春にかけて安倍政権幹部も巻き込んだ激しい攻防の背景にはなにがあったのか。朝日新聞大阪社会部の大阪府庁キャップとして一連の取材に関わってきた池尻和生(現・政治部)が、取材経緯などについて特別に寄稿した。

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 あれは、今年に入ってまもなくのことだった。

 大阪城に向かい合う格好で位置する大阪府庁。そのすぐ近くにある古い喫茶店に入ると、自民党大阪府支部連合会の重鎮であるベテラン府議が座っていた。

 あいさつもそこそこに、話題は自然と2019年4月に迫る統一地方選のことになった。統一選では、大阪府議選や大阪市議選も実施される。ベテラン府議は、こう言った。「もう維新は終わりやろ。昔のような勢いはまったく感じない。松井(一郎・府知事)も焦っとんちゃうか?」

 維新は、当時府知事だった橋下徹氏が「大阪都構想」の実現を掲げて10年に設立された。かつて、「ケンカ民主主義」とも称され、賛否両論を巻き起こす一方、発信力の高さで人気を誇った橋下氏。11年の府議選では、「橋下ブーム」もあって維新はいきなり過半数を獲得。同年の知事・大阪市長のダブル選では、知事に維新幹事長だった松井氏が、市長に橋下氏がそれぞれ初当選。翌年の衆院選では国政に初挑戦し、54議席を獲得して第3党に躍り出た。

 だが、15年5月に初めて実施された大阪都構想の住民投票では、僅差で反対票が上回り、橋下氏は同年12月の任期満了とともに政界を去った。松井氏は、「都構想の再挑戦」をスローガンに掲げていたが、他党は軒並み反対。市民の空気感も「なんでまた住民投票なの」という感じだった。さらに当時、維新は府議会と大阪市議会で過半数に届いておらず、自民が都構想に強く反対しているため、第3党の公明の協力が不可欠だったが、公明が歩み寄る雰囲気は無かった。

 八方ふさがりの都構想、そして橋下氏の不在。私自身、維新にはかつての勢いはないと感じていた。ベテラン府議は「これから府議選で支援する候補者の応援や。またな」と言って、喫茶店を後にした。

 それから約3カ月後、ベテラン府議も私の読みも大きく外れることになる。

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自民党ベテラン府議の「誤算」とは?