打者ではセギノールが、最強の“出戻り助っ人”に値しうる活躍を見せた。2002年にオリックスでプレーした際は、23本のホームランを記録したが、打率は.204と安定した打撃を見せられず、1年で退団。翌年はヤンキース傘下の3Aで好成績を残し、メジャーでもプレーした。

 そして、2004年に日本ハムへの入団が決まり、日本へ出戻ることに。日本ハム1年目には打率.305、松中信彦(当時ダイエー)と並ぶリーグトップの44本塁打、108打点をマークして、指名打者としてベストナインに選出された。続く2005年も打率.288、31本塁打、86打点を記録するなど、4年間チームの主軸として打線をけん引した。2006年にはシーズン終盤から勝負強い打撃を見せ、日本シリーズではMVPを獲得。チーム44年ぶりとなる日本一の大きな原動力となった。

 その後は目覚ましい活躍とはいかなかったが、楽天、オリックスでプレー。最初の来日となったオリックス時代には2試合連続左右両打席本塁打を達成し、記録に残るプレイヤーでもあった。また、日本シリーズを制した際には人目をはばからず涙し、当時チームメイトだった新庄剛志と慰め合うなど、北海道に移転したばかりの日本ハムを象徴する助っ人としてファンに愛された。

 その他の野手では、2013年に楽天初の日本一に貢献したマギーも出戻って活躍した助っ人。最初の来日では1年のみのプレーとなったが、打率.292、28本塁打、93打点の好成績で、同じ年にともに楽天へ加入した“AJ”ことアンドルー・ジョーンズと、強いチームの象徴にもなった。

 マギーが凄かったのは日本を去ったあとに、メジャーリーグでも活躍したこと。元々、来日前のブルワーズ時代も実績のある選手だったが、2014年にMLBのマーリンズに復帰すると、広い本拠地球場の影響もあり本塁打は4本に減ったが、177本の安打を放ち打率.287、76打点をマーク。ナ・リーグのカムバック賞を受賞し、母国でも実力を見せつけた。

 その後に移籍したMLBのジャイアンツなどでは力を発揮できなかったが、2017年に巨人へ移籍し再来日。2年間で打率.300、39本塁打、161打点の成績を残し、衰えぬバッティングを日本で再び披露してくれた。

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今後“出戻り助っ人”として活躍するのは…