今は学校の先生の負担が多すぎると問題になっていますし、授業中に生徒側が問題を解き、解説を読んでも理解できなかった点を先生に聞く、という形のほうが互いにメリットがあるでしょう。教科書の英文をノートに写してこいなんて宿題もありましたが、これなんて単なる作業であまりにナンセンスですよね(私はコピーをしてノートに貼りつけていました)。

 有益だと思えた宿題は、「祖父母など戦争経験者を探し、当時の話を聞いてこよう」というような、学校ではできない調べものでしょうか。

■85%の人に有効ならば、残された15%の人は無効となる

 そもそも論文は「85%の人に有効だった」という書き方が多く、自分が無効側の「15%」に入る可能性だってあるものです。ですから、いい宿題も悪い宿題も存在すると前置きしたうえで、私はDaiGoさんと同じく、大多数の宿題は特に意味がないと言いたいです。

 学生は毎日学校で長時間授業を受けていますし、受験や中間テストなどにより、必要だと感じたら自発的に勉強するでしょう。しかし宿題は受動的なうえに家でやるものなので、サボったり、人のものを写したりも可能なわけです。

「継続する力をつける」という目的もあるかもしれませんが、それなら勉強より「今日あったいいことを二つ書いてくる」というような課題のほうが、ハードルが低いので継続させやすいし(ハードルが高いために継続に失敗すると挫折感が生じます)、1日を振り返りポジティブな面を探す行為はメンタル面を安定させる効果もあります。

 暗記や問題を解くにしても、家でなく学校の授業中にやらせたほうが、サボる人もいないし、時間制限があるので、ダラダラ時間を浪費し質が悪い勉強になるのも防げます。つまりは授業を充実させればいい話で、あえて宿題に頼ろうと固執する理由はないと思うのです。

 宿題をした・しないで親ともめることも多いですし、そうしたら家も勉強も嫌になってしまうというデメリットも出てきます。

 YouTubeでは、このように賛否両論が沸き起こり、考えさせられる動画がまだまだたくさんあるかと思います。息子のお気に入りである「水を加えるとグミになるお菓子を買ってきて、実際に作ってみた」動画なんかは、実に平和で、なにも考えずに頭をからっぽにして見られます。

 ただ、今後もし掃除をしたくないと言って、「掃除なんてやらなくていい」という(自称)掃除専門家の動画を探してきたら、なかなか面倒だなぁ……と思いました。生きていくうえで、宿題より「嘘は嘘であると見抜ける」スキルを身につけるほうが、重要な気がします。

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杉山奈津子

杉山奈津子

杉山奈津子(すぎやま・なつこ) 1982年、静岡県生まれ。東京大学薬学部卒業後、うつによりしばらく実家で休養。厚生労働省管轄医療財団勤務を経て、現在、講演・執筆など医療の啓発活動に努める。1児の母。著書に『偏差値29から東大に合格した私の超独学勉強法』『偏差値29でも東大に合格できた! 「捨てる」記憶術』『「うつ」と上手につきあう本 少しずつ、ゆっくりと元気になるヒント』など。ツイッターのアカウントは@suginat

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