息子が通っている幼稚園では、なんと既に平仮名を練習する等の宿題が出ているのですが、私はあまり提出したことがありません。ハリス教授の「小学生は宿題に充てる時間を使ってもっと有意義なことができる」という意見が理にかなっていると思うからです。

 宿題をしないとはいえ、勉強と意識させないよう遊びの一環で平仮名を教えていますし、卒園後もその方向性が適切だと思えば「やらなくていい」を続けていくつもりです。

 年齢が低い小学生や幼稚園のころから、「宿題や勉強は絶対にしなくてはいけない」と縛りつけていたら、その後ずっと続く勉強が嫌になってしまわないでしょうか。教育ママにより幼いころから英才教育を強いられて勉強漬けにされ、最終的に有名な大学に入ったという子は、私の周囲にはほとんどいません。

 それどころか、勉強をやらされすぎて精神的に病んでしまったり、嫌になって大学への進学をやめてしまったりした子のほうが多いのです。ちなみに、私の友人で、高校にいかず大検をとって東大に入学している子がいました。つまり、全く宿題が出されない環境でも東大に入れるわけです。

 私も中高時代は、ほぼ宿題をやらずに過ごして合格できたわけなので、「勉強のためだけを考えるなら特に宿題は必要がない」としかいえません。知識を得るにしても、それが宿題によるものである必然性なんてどこにもないのです。

 ハリス教授が論文の中で、「宿題に関する研究には限界がある」と発言したのは、宿題の内容が学校や先生により、あまりに多種多様だからではないでしょうか? 私が中高でも宿題を不要だと思ってしまう理由は、出題方法があまりに雑なところです。

 誰だって得意科目と苦手科目があり、重要視すべき分野も異なってきます。そこまで考慮して時間や量がバランスよく出題されるなら問題ありませんが、おのおのに対応するのは不可能でしょう(個別指導の塾でならできますが)。

 うちの学校は「問題集の○ページから○ページまで解いてこい」という大ざっぱな宿題を出し、授業で生徒を指名して解説させるという典型的な授業形式ばかりしていました。生徒が黒板に答えを書くのを待つより、解説冊子を読んでしまったほうが、結果は同じなのだからずっと効率的ではないでしょうか。

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