こういう状況が何かのヒントになったのか、激やせ状態を脱したりえは、いかにもオジサンうけしそうな時代劇に活路を見いだしていく。日蘭のハーフであることを活かしたドラマ「おいね 父の名はシーボルト」(00年)のあと、藤沢周平の小説を山田洋次が映画化した「たそがれ清兵衛」(02年)では日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞に輝いた。こうした方向性は、サントリー・伊右衛門のCMなどにも受け継がれている。

■「悲劇のヒロイン」と一体化

 こうして見ると、彼女の女優らしさとはまず、ドラマティックで悲劇的な実人生によって生まれたものなのではないか。それこそ「悲劇のヒロイン」的なイメージが先行したなかで、本人がそれに見合った演技力を身につけることにより、イメージと実体が一致し、女優らしい女優になった、そんな気がするのだ。

 その最大の立役者を選ぶなら、マネジメントをしたりえママでも、作品を手がけたり共演したりした男たちの誰かでもないだろう。それはおそらく、貴乃花だ。というのも、破局会見において、その理由を聞かれた彼は、

「愛情がなくなりました」

 という史上まれに見るパワーワードを発した。親同士の問題について勘繰られないよう、自分が悪者になろうとしたという見方も囁かれたものの、とにかくこれが「りえちゃん、かわいそう」という世論を決定づけたのである。

 他の有名な破局と比べても、このスタンスは異色だった。たとえば、近藤真彦中森明菜のケースでも、小室哲哉と華原朋美のケースでも、男性サイドの事務所が近藤や小室を守ろうとしてさまざまな策を弄しており、普通はそういうものだ。

 しかし、貴乃花はこの発言によって、じつにわかりやすく、りえを「悲劇のヒロイン」にした。本人が「なりたくない」と言っていたそういうものに。おかげで、りえの会見はよりいっそう悲壮にけなげなものとして映り、語られることになる。メディアが「代表作」と評したのも、そこにそれまでなかった女優らしさを感じたからだ。ある意味、ここから「女優・りえ」が始まったともいえる。

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そして時代を象徴する女優に