■2項がシンメトリックに配置

 1幕は若き日のロミジュリの物語が中心。「言葉遊び」が活躍する「拡散」の原理が目立つ。2幕は生き延びた2人の物語が主に描かれ、終幕に向けて一直線に進む「集中」の原理が際立つ。

 シェークスピアの原作ではロミオは激情にかられ、ジュリエットの従兄弟を殺してしまう。「ボヘミアン~」には「ママ、今、僕は人を殺してしまった」という詞があり、野田は「僕」=ロミオと読み替えた。ロミオが人をあやめるシーンとこの曲はシンクロし、あざなえる緊密さを示す。両世代のロミジュリの場面にはフレディが想い続けたメアリー・オースティンのために書いた「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」がテーマ曲のように流れる。

 平家と源氏、赤と白、ヒロイズムとテロリズムなど2項がシンメトリックに配置され、舞台空間を左右、上下に分割して対比する(美術は堀尾幸男)点も特徴的だ。手紙、名前、記憶なども重要なタームになる。

「『歌舞伎の夜』という副題も、勢いでつけただけで、芝居は全然カブキじゃない」と公演に寄せた一文で野田は書いた。

 とはいえ、近作には、タッグを組んで「野田版歌舞伎」を作ってきた故十八代目中村勘三郎へのオマージュが随所に現れる。「俊寛」「寺子屋」のリミックス、迅速な場面転換を可能にする回転扉、割り台詞的な手法などはまさに歌舞伎の趣向だ。フレディのボーカルの音源だけを取り出した「マイ・ベスト・フレンド」に恍惚とする瞬間も。クレジットはないが、フレディが語り部として声で出演している錯覚も起きた。

 2人が一晩を共に過ごす場面では、「ラヴ~」が奏でられるが、いくたびも白い大布が翻るたびに、両世代のロミジュリが入れ替わり、動的かつ幻想的で比類ない光景が広がった。白い手紙の紙飛行機と俳優が能のすり足的速度で共に歩む演出も「ラヴ~」のイントロに溶け込むようだ。

 生き延びたジュリエットの松は愛をかみしめる悲喜をただ佇むだけで表現し、ロミオの上川は極限から絞り出す真情に悲痛な響きがある。広瀬と志尊は早春のせせらぎのようにまぶしい。伊勢佳世が酷薄な復讐の鬼をよく演じた。竹中直人、橋本さとし、羽野晶紀らも硬軟こきまぜて好演している。

 争いの世は続き、生き延びた2人は別離を強いられることになる。ロミオの手紙はジュリエットの元に決して届かない。命が危機に瀕したロミオの極限の愛の叫びは、いわば、紅く激しい刀傷ではなく、白く深い彫り跡で描かれる。“君は覚えていてくれるだろう、離ればなれに吹き飛ばされてもすべては一緒なのだと。どれだけ年をとっても、僕はずっと君の側にいて愛していると告げよう”――。このように歌う「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」は、ロミオが最後に出した手紙の内容とも呼応し、喜びも悲しみも縫いとって、愛の懐かしさを間断なく奏でてゆく。(文/朝日新聞社・米原範彦)