「春先の時点で決まりそうやったんですけど、ビザの関係でおそらく渡米が6月くらいになるだろうっていう話になったわけですよ。そうなると向こうは4月の終わりからシーズンが始まってますので、その時点で僕が7カ月ぐらい何もしないで実戦もないまま向こうに飛び込んでいっても、シビアな世界なんでそれはちょっとどうなのかなっていうところがありまして……」

 そこに救いの手を差しのべたのが、ロッテ時代の先輩であり、ちょうど福井のバッテリーコーチから監督に昇格したばかりの田中雅彦だった。早生まれのため学年は1つ上ながら同じ37歳の田中監督は、大松がヤクルト戦力外となってからも常に気にかけていた。

「相談したところ、監督は(渡米までの間だけでも)『全然いいよ』」っていう話をしてくれたんです。それだったら実戦もできるし、若い選手にもいろいろ教えてほしいっていうことだったんで、『じゃあ、お願いします』っていうことで福井に行ったわけですよね」

 米国側の受け入れ態勢が整うのを待ちながら、福井でプレーを続けていた6月、左ふくらはぎの肉離れで離脱。同時にもともと痛みを抱えていた左膝の状態も悪くなり、「その時点で先方も『うーん……』っていう感じだったんで、これは難しいなと」渡米を断念。その後は戦列に戻って8月7日の石川ミリオンスターズ戦では今季3号アーチを架けたが、これが大松にとって現役最後の一発となる。そして、迎えた8月17日の新潟アルビレックスBC戦──。

「あまりふくらはぎの状態が良くなくて、本当は2打席で代わろうかなと思ったんですけど、向こうもいいピッチャーやったんでね。だから『もう1打席立って上がります』っていう感じで話してて、打って一塁に走っていく中間ぐらいですかね。ファーストベースと間のぐらいのところでバキッ!って音がして『ああ、もうダメだな』って思いました」

 引退──。即座にその2文字が頭に浮かび、真っ先に報告をした相手は敬愛するロッテの大先輩、福浦だった。

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福浦さんからは「オレより先に辞めるな」