それは、まあ、恋愛の真相なんてのは当事者にしか分からない、と思っていることも大きいです。どっちがどっちを利用しているか、どれぐらい負担をかけているかなんてのは、当人同士じゃないと分からないと僕は考えています。

 と書きながら、例えば、もし、自分の子供が国や民族で人を差別するヘイト・スピーチを話していたり、あきらかにカルトな新興宗教に入ろうとしていたら、とことん説得するし、それでもダメなら引きずってでも止めようとすると思います。その時は、「子供の立場を尊重」している場合ではないと、僕は考えます。

 でもね、みどりさん。どちらのケースでも、子供にとってはたまったもんじゃないと思うのですよ。

 当人は自分の判断でやっていると思っているのに、親から一方的に「お前の判断は間違っている」と断言されるのですから。子供が、その時点で親をうらんだり、反抗するのは当然だと思います。

 それでも、親としては、自分の判断に間違いはなかったと思えば、胸を張って、子供との遠くなった距離を受け入れるしかないと思っています。淋しいことですが、そのまま、疎遠になることもあるでしょう。

「あの時は、お母さんの判断が理解できなかったけど、今はよく分かるよ。あの時、手紙を捨ててくれて、本当にありがとう」なんて言葉は、ドラマでも出てこないと思います。そんなセリフを書いたら、視聴者や観客、読者から「ご都合主義にもほどがある」と責められるでしょう。

 それは、本当にそれが有効だったかどうか、誰にも断言できないからです。

 手紙を捨てた結果、「また勉強もするようになって大学もうかったじゃないか」とみどりさんは書きますが、行動と結果は完全にはイコールではないでしょう。

 息子さんは、彼女とつきあいながら、受験が近づけば本気で勉強したかもしれません。「彼女と再びつきあうこと」は、「勉強をしなくなり大学に落ちること」と100パーセント同じことではありません。みどりさんの頭の中では、それは完全につながっていますが、息子さんには息子さんの判断と人生があります。受験が近づいたのに、同じように遅くまでバイトをし、「彼女に利用されて振り回され」続けるかどうかは、息子さんが判断することです。みどりさんが断定することではないのです。

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判断するのはみどりさんではなく…