上原はその年、73試合に登板。シーズン途中からクローザーを任され、防御率は1.09、21セーブと驚異的な成績を残した。上原の活躍もあり、チームは前年のア・リーグ東地区最下位から一転、6年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。松本さんも選手に交じり、缶ビールをもって”シャンパンかけ“に参加した。選手たちには優勝ボーナスが支給され、松本さんにも当時の年収と同じくらいの大金が支払われた。

「ダッグアウトという“特等席”で試合を見ることができて、勝利を選手たちとともに喜ぶことができる。シャンパンかけの後のインタビュー対応は、少し酔ってしまって大変でしたけど(笑)。本当に夢のような時間でした」

 通訳というと、選手との会話やインタビューへの対応のイメージが強いかもしれない。だが、松本さんの仕事はそれだけではない。例えば選手の家でインターネットがつながらない時には、業者への電話を代行する。パスポートの申請などで、大使館に同行することもある。ときには選手の家族を球場まで送り届けることもある。選手の身の回りの世話もするので、シーズン中は付きっきりだ。当然、選手とも親しくなるという。

「上原選手には、何度もボストンの焼肉店に連れて行ってもらいました。田沢選手とトレーナーも一緒です。上原選手はビールが大好きなんですが、体調管理のためにいつもジョッキ一杯で我慢していました。『体重は大学生のころから変わっていない』と言っていて、プロ意識を感じました」

 上原はボストン、17年からはシカゴに単身で住んでいた。妻と子どもは最初に上原が所属したオリオールズの本拠地、ボルティモアで暮らしていたため、離れての生活だった。そんななか、夏休みに親子で応援にくると、対応するのはやはり松本さんだ。

「一真くん(長男)と初めて会ったのは5歳くらいのときでした。お父さんに会いに球場に来るんですけど、上原選手も練習や試合があるのでずっと一緒にはいられない。だから遊び相手だと思ってくれていたんでしょう。よく私とキャッチボールをしました。彼はアメリカ育ちなので、お父さんと話すとき以外は基本的に英語で、当たり前ですが上手でしたね」

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「辛かった」通訳としての苦悩