■ロッテ:ベニー

 1989年(平成元年)のディアズから始まったロッテ平成の4番の系譜は、その後もホール、フランコ、ボーリック、デスパイネなど外国人助っ人が長く務めてきた。特出した成績を残した選手は見当たらないが、2004年(平成16年)にボビー・バレンタイン監督とともに来日し、2シーズン(2004、2006年)、4番に座ったベニーを選んだ。初年度に不動の4番として打率.315、35本塁打、100打点の好成績をマーク。翌年はケガで離脱するなど、シーズン途中に4番は譲ったものの、プレーオフ、日本シリーズでも活躍し、チーム31年ぶりの日本一に貢献した。

 ロッテの井口資仁・現監督も、メジャーリーグから帰国後1年目の2009年(平成21年)に4番を務めている。近年ではデスパイネ(現ソフトバンク)、日本人では“アジャ”こと井上晴哉が任されているが、少しインパクトに欠ける印象。その中でも、チーム成績が上向いたバレンタイン時代の主軸だったベニーを推したい。

楽天:山崎武司

 2005年(平成17年)に楽天がプロ野球に参入して以来、長きにわたって4番を務めたのが山崎だ。中日時代の1996年(平成8年)に本塁打王に輝くなど実績十分だったが、楽天の初年度に年齢はすでに37歳。成績的も下降している中で見事に復活を遂げ、創設当時のチームを支えた。特に野村克也監督時代には、配球を読む力が向上し、2007年(平成19年)には、ともにリーグトップとなる43本塁打、108打点をマーク。2009年にも39本塁打(リーグ2位)、107打点(リーグ2位)という好成績を残し、球団史上初のAクラス(2位)入りに大きく貢献。キャリアの終盤で全盛期に負けない大砲ぶりを発揮した。

 球団創設9年目にして日本一を達成した2013年(平成25年)には、メジャーで二冠王の実績があるジョーンズが務め、2015年からはウィーラーが4シーズンにわたって務めた楽天の4番。近年では、外国人助っ人が打つことが多くなったが、創設時に“和製大砲”として、どっしりと4番に座り続けた山崎の威光は今も残っている。

次のページ
ホームランより打点で存在感