「絶望の後にしか希望はやってこない」金八先生の言葉のとおりでした(撮影/写真部・東川哲也)
「絶望の後にしか希望はやってこない」金八先生の言葉のとおりでした(撮影/写真部・東川哲也)

 女優の杉田かおるさんは4年半にわたり、慢性閉塞性肺疾患(COPD)を患っていた母親を在宅介護し、2018年にその母を看取りました。その間、芸能活動は10分の1くらいにまで減らしたそうです。週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん2020年版』では、杉田さんが在宅介護になった経緯、介護中の生活、介護経験で得たものについて語っています。

*  *  *

──どういったいきさつで自宅での介護が始まったのですか。

杉田:母は長年、慢性閉塞性肺疾患(COPD)を患っていました。63歳のときに、呼吸が苦しくなって病院に行ったところ肺気腫(当時の病名)と診断されました。たばこを死ぬまで吸い続けると宣言していた母ですが、あと一本吸ったら死んでしまいますよと言われ、たばこを吸うことをやめました。階段の上り下りや坂道などはとても苦しそうでしたが、ゆっくりとなら日常的な動作はできていました。

 それが、80歳になる手前でCO PDの症状が悪化して急性増悪を起こし、病院のICU(集中治療室)に入りまして。命に危険が及ぶような状況でした。で、そこからは24時間連続の在宅酸素療法が必要になり、生まれてからずっと一緒に暮らしてきた私が、母の看病、介護をすることになったわけです。

──施設を利用するなど、在宅介護以外の選択は考えませんでしたか。

杉田:母をサポートしながら芸能活動を続けるために、受け入れてくれる高齢者施設をあちこち探しました。でも、母は呼吸器機能障害の等級が最重度の1級だったので、そういう重篤な患者が入れる施設は見つかりませんでした。

 病院のほうは、療養目的なら「人工呼吸器を使用すれば入院できる」というお話で。母は亡くなる半年前まで外食してウナギを食べるほど胃腸が丈夫だったので、最初から自分の口から食べる楽しみが奪われてしまうようでは、入院はとても無理だな、と娘として思いました。

 そうなると、重度のCOPDの母を、この先、静かに看取れる場所はどこかと考えたら、自宅しかない。ほかに選択肢がない。それが現実でした。

──在宅介護をするのに公的なサービスを利用しましたか。

杉田:はい。住んでいる市の地域包括支援センターへ行って、介護保険と医療保険のサービスを受けるために、調整役のケアマネジャーさんを紹介していただきました。

 在宅サービスの中でも、一時的に入院したときを除いて、母が切れ目なく定期的に受けたのは、月1、2回の医師による訪問診療と週1回程度の訪問看護です。ベッドや車いすも借りることができました。

 でも、最初のころは、呼吸器が専門のお医者さんで訪問診療をしている先生が近所に見つからなくて、消化器が専門のお医者さんにお願いしていました。母が風邪を引いたりするとすぐに往診もしてくださり心強かったです。

 途中から、母の検査入院先の呼吸器科で診療していた先生が、ラッキーなことに近くで開業され、訪問診療を引き受けてくださったんです。

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