他にも爆笑問題田中裕二は、元芸人の某放送作家の相方が「噂の伝播を調べるために意図的に流したものだ」とラジオ番組で発言している。また、70年代に話題になったSF映画「ボディースナッチャーズ」に出てきた人面の犬が、都市伝説の流布に大きな影響与えたとも言われたりしている。

 このように現代妖怪を代表する存在である「人面犬」は、成立過程において積極的にメディアや有名人が関与している。当然、当時の世相も噂の拡散に影響与えている。その頃、若者たちの間では「遺伝子操作により新たに生物が生まれる」という概念が広がり始めていた。「遺伝子工学」という未知の技術に対する潜在的な恐怖心が、この妖怪を生み出したのではないだろうか。その証拠に「人面犬」の噂には「茨城県つくば市の筑波大学の研究所で生まれた」という設定も流布された。ご丁寧に、白衣姿の学生たちが網を持って逃げ出した「人面犬」を探し回っていたと言うエピソードもささやかれた。

 他にも、現代における交通事情がこの妖怪の成立に影響与えているかもしれない。以前、筆者が取材をした埼玉県の畑トンネルには「人面犬誕生の地」と噂されている場所がある。このトンネルは封鎖されており、トンネルの内部に溜まった浮遊幽霊と車にひかれた犬の霊が混じり合い「人面犬」が生まれたとささやかれた。交通事故の増加により、犠牲になる犬が増えたことが「人面犬」伝説の拡散の下地になった可能性はある。

 このようにメディア、遺伝子工学、交通事故の犠牲になる動物等が「人面犬」伝説を日本中に広げる促進剤になった可能性は高いが、「人面犬」そのものの噂は江戸時代の文献にも確認ができる。江戸時代の文献『街談文々集要』によれば、文化7年(1810年)6月8日に江戸の田戸町で人面犬が生まれたとされている。また、加藤曳尾庵が著述した『我衣』によると、1819年(文政2年)4月29日、日本橋近郊で「人面犬」が生まれたとされており、前足も人間の足であったとされている。江戸時代に姿を現した「人面犬」に関しては、国学者である平田篤胤も記録を残しており、比較的有名な妖怪であった事がうかがえる。

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なぜ人間は犬の顔に人面を当てはめるのか?